
スタックとコリジョンに見る現代的な問題
敵の塊や壁・机にスタック・コリジョンする問題もある。3D性能では劣っていたオリジナル版「Alone in the Dark」だからこそこの問題は自然に解釈できていた。そしてその自然なスタック・コリジョンの判定は妙に「Alone in the Dark」というゲームを構成するシュールな要素であった。それを今になって現代技術で再現しようとも到底不可能である。スタック・コリジョンの問題は当時だからこそありえた貴重・重要な合法的バグ要素だったわけでこれ自体を現代技術で克服しようとしても不可能なのだ。今の3D技術で描画しようとしても再現できない範疇にあるのだ。
それぞれの要素に深みのない新生「Alone in the Dark」
それぞれのゲーム構成要素が深みがないのもオリジナル版「Alone in the Dark」と違うところだろう。キャラクターの描画・ストーリーライン…原案はその描画的恐怖・精神病的な恐怖があったがそれが新生「Alone in the Dark」にはない。つまり継承すべきシステム系と改善すべきシステム系としての融合感・まとまりに大いに欠ける。当然完成度も高くない。目の肥えたSteamerや現世代機までゲームを趣味として続けてきた30~40歳代のゲーマーにとってはこれは当然のごとく感じてしまうジレンマだろう。でもそこを何とかしてほしかった…というもの。なんつったってIPの冠を持つゲームなのだから。
これから「Alone in the Dark」IPはどうなるのか?をあえて悲観視する
ここまで振り返ればわかるがこれはゲームに関わる開発者が悪いわけでもその関係者が悪いわけでもなんでもない。端折って言えばオリジナル版「Alone in the Dark」を今更リメイクするのはめちゃくちゃムズイ。というか不可能。なんといってもあの時代・あの環境下で生まれた傑作であり白眉であるからだ。だからこそ「Alone in the Dark」は「Alone in the Dark」のままで良かった。夢は夢のままであってほしかった…それが「Alone in the Dark」というゲームIPに残された唯一の光といえるのではないか?
運命的悲作
あと四半世紀も立てばさらに3Dの技術力は上がるのは間違いない。だがその時になって「Alone in the Dark」がどういった形のゲームIPになっているか・どういう解釈で継ぎ止められているのかは全く想像がつかない。新生「Alone in the Dark」が今そうであるように。そしてこの運命こそが新生「Alone in the Dark」を駄作・凡作にしてしまった自然な結論なのだと思う。つまり「Alone in the Dark」は生まれながらにしての運命的悲作なのである。これこそが「デルセト」の屋敷的魔境が持つ呪いなのだ。