マチュが母親に見た凡庸さの理由は、もちろん他ならぬマチュを育てているからだ。安定した生活と就学環境を提供するために母親は退屈な人生を引き受けている。でもマチュにはその犠牲が見えない。今後彼女は本物のアウトローになるようだけど、その時初めて母の引き受けたものの意味に気づくだろう。
— ミック (@copinemickmack) May 30, 2025
「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」はジュブナイルものか?
さてデータベースエンジニアで関連する良書の執筆でこの界隈で広く知られるミックさん(専門:哲学・データベース)がXにて「「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」はジュブナイルものの王道アニメである」と言っている。これは正しいのだろうか?否・私は全面的にミックさんの意見に反論する。このアニメをこう断じて評価するのはぶっちゃけ読み取りが浅い。かつあり得ない。まずジュブナイルとは何か?から振り返ってみたい。そもそもこのジャンルはいうて曖昧な領域である。だが総じてこう表現されることが多い。
子供または若年層の、子供または若年層に関する、子供または若年層に特徴的な、あるいは、子供または若年層にふさわしい
言葉のあやから推察するにいわゆるミックさんは「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」が少年もの少女ものであってそういった世代向きでありかつその年少者の成長に焦点を当てているというアニメの見方をしているのだろうと思う。だがこの着眼点は凄く悪い。悪いというかそういう見方もできるだろうがここにだけ焦点を当てていることは「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」を読み解くうえで大きな間違いであると私は思う。なぜだろうか?
むしろ本格的なSFの要素やメインプロットの複雑さが際立つ
そもそもニュータイプが主題になっていて大きなお友達(笑)が本作「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」に夢中になっているあたりどっちかっつとこのアニメはSF系に属していてシャロンの薔薇とかゼクノヴァとかいう単語が出てくるあたり単純な少年少女の冒険譚で済んでいない。むしろキシリア暗殺計画やギレン暗殺などをしっかり描いている当たり大人のダークな側面をメインプロットとしながらもその周辺で少年少女が躍動することを描いているとする方がストーリー筋の把握としては正しいと私は思う。社会構造だとか人間の闇の風味がしっかりと描かれていて単なるヤングアダルトものとして推し量るのは筋違いなのだ。
ifの話としての「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」の魅力
またこれはもうひとつの一年戦争・具体的に言うとジオン側が一年戦争に勝利したらどうなっていたか?というリアルを描いている点で画期的であり従来原作に出てくるMSやMAの活躍までもしっかり描いている。ifの話を追っていけるという点でみょうちきりんなリアリティを感じるところが大きいアニメ作品でもある。だからこそそれはむしろSF的な魅力にあふれていて単なる王道もののジュブナイル作品と断ずるのはおかしいのだ。本作がこういった魅力にあふれている以上本来のミックさんらしくもっと深く「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」を読み取るべきであると私は思う。
小説になって全くおかしくないほど凄まじいアニメである
どちらかというと成長要素とかヤングアダルトとかそういうもので片付けられる概念で描かれてはいない。陰謀が飛び交うさまやメカの戦う局面はやっぱ盛り上がるし「もしこうなったらどうなったか?」という観点で描かれているからこその魅力にあふれている。「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」はその面でこれまでのガンダム作品になかった要素が多分にありそこにファンは興奮しているのだ。端的に言うと凄まじいアニメなのである。マチュと母親の局面もあることにはあるがそれだけではない。クランバトル・ベッティング・新MS・シャロンの薔薇・ニュータイプとキラキラの謎・ゼクノヴァ…いくらでも局面の個々の点は事例として挙げることが出来る。むしろその複雑さを読み解くとこれはもう小説と言っていいぐらいのレベリングデザインに達している。そう評するほうが妥当だ。