シングルプレイゲームの時代は終わると言われていた頃私は中学生だった。その頃はネットワークゲーム・オンラインゲームの最盛期がやってくると盛んに言われていた。現に世界で最強のゲームが元祖「Counter Strike」だった。光ケーブルが敷かれるちょい前ぐらいのことだったのでまだまだ高嶺の花ではあったがソイツがゲームの標準形であるということが立証されつつある時代に私は中学生活を送ったこととなる。なぜこのような論が巻き起こっていたのだろうか?考えてみたい。
問題は簡単である。ネットワークの時代がやってくることは間違いなかったこと。FPSをはじめとして競技性のあるゲームがすごく増えていたこと。ゲームで生計をたてるフェタリーのような人物(プロゲーマー)も出現していたこと。様々な要因が考えられるがこの三点に絞ってまず論じたうえで講を修正してみることでシングルでプレイするゲームが復権したことを説明しよう。
まずオンラインゲームはネットワーク越しにコミュニケーションを取れる夢のツールであった(今でこそ当たり前だが当時はワクテカもの)。今でも大学や大学院に行くと教授に「これからインターネットと英語の時代ですから」と言われるだろう。私もそうだったからよく分かる。オンラインゲームはエンタメで感動を共有したりコンペティティブな環境構築を構築する新しいツールだったのだ。その時流に乘った形でゲームがオンライン化されてシングルゲームの時代は終わると大胆な予測をするものまでいた。インターネットは森喜朗も言っていた通りIT革命だったわけだ。
競技性のあるゲームが強くなっていことについてはおそらく「Battlefield」「Call of Duty」の双頭のことを指す事が多い。そのさらに中央に「Counter Strike」があり一番外周りにMMORPG「World of Warcraft」やRTS「Age of Empires」があった。この布石がゲーム進歩の最終形態なのではという論が強まっていたころがあったのは一目瞭然である。時代を代表するどころかゲーム史を語るうえで間違いなく必要な知識の中にこれらのタイトリングが必然的に含まれている。
ゲームで生計を立てるプロも出現した。好きなことで仕事ができるなんていうヲタ話を真面目に信じていた時代があるのだ。オンラインゲームでプロフェッショナルになること。それは子供の頃の夢の発表会で「ゲーム攻略本の執筆者になりたい」と書くぐらい馬鹿な低レベルなものだったがマジでその競技シーンに憧れを抱いていたものはかなりいたと思う。今日日YouTuberになりたいという小学生中学生の代替のものに当てはまると考えてくれれば良い。稼いでいるプレイヤーはそれでいいが一見なんとも馬鹿馬鹿しい夢である。
というわけでオンラインゲームは期待度MAXでその最盛期を迎えることとなる。だがプレイヤーにとって合一的なソリューションを提供するだけが脳ではないゲームメーカーも多く出てきた。つまるところ個性的なゲームを追求するうえでシングルゲームもまたその良点を数多く発掘される時代が再到来したわけだ。唯一無二のストーリーがゲーマーを感動させることもまた重要であり単にコンペティティブな環境を構築するだけが本質的な解決策になっているわけでない。こうしてシングルプレイゲームは息を吹き返したのである。