Why do we have no time to play digital games? The answer is simple: freedom and limitations.
This is, of course, a common situation for adults.
なぜ働いているとゲームが出来なくなるのか?
大人になるとゲームが出来なくなる。子供のころはめっちゃくちゃ夢中になってゲームに没頭してきたゲヲログも最近同じことを考える。無限にゲーム出来たらいいよなって思ってたけど世に出るとそうはいかないしそもそもそう思わんくなる。さてこれはなぜか?もちろん人によってこの条件とか理由付けは変わるだろうけど考えらえる限り一般的に書き連ねてみよう!と思う。
集中力と判断力の欠如
子供のころのほうが集中力と判断力は高かった。当然大人になるにつれて反射能力も弱くなるし基礎的なフォーカスする力も弱くなる。加齢による衰えが如実に出てきて子供のころは遊べたゲームという遊戯概念に慣れが生じてしまうのだ。出来ることが出来なくなっていく…これは認知能力の問題・その削減の問題なのである。
ゲームという義務感
ゲームで遊びたい!がゲームで遊ばないと!に変わっていく。子供のころはゲームで遊びたい!状態がままあるが大人になるとゲームで遊ばないと!っていう疾走感が根としてついてしまうのだ。これがゲームという義務感である。限られた時間を有効に使いたい。余暇の時間をしっかり遊びたい。こうした願いが空回りしてゲームという義務感に取って代われるのである。
短距離報酬への変容
そうした義務感はより簡単な報酬への熱望にまた代わられる。例えばYouTubeとかTikTokとか。これらは余暇を限られた時間内でしっかりと活用できる短距離報酬型コンテンツなのだ。だからYouTubeに夢中になってしまうし時間が制限されている中でも”遊べる枠”で”ネットコンテンツの活用”に走ってしまう。その結果ゲームという遊戯概念とは距離を置くことになるのだ。
続きを覚えておくコストの重さ
またゲームのルールだとかの続きを覚えておくコストもかなり重たいものがある。ゲームはルール決めのデジタルテーブルトークのお遊びだからその当該ルールを覚えておく必要が生じる。これは地味に重い。コスト分が仕事とか細やかな遊び(YouTubeとか)に割り振られているのにそれを後目にこっちのゲームのことも覚えておかねばならない。結果ゲームを忌避することに。
根本的時間制限
ここまで書いたけど単純かつ根本的に時間がねぇ…っていう問題は当然ある。時間がわんさかあればゲームに割く時間も残るだろう。だがライフスタイルが仕事とか家庭とかにシフトしていくと当然それだけ余暇の時間が無くなっていく。時間は作るものとはよく言ったものだがなかなかそうはいかない。単純なことだがつまるところこれは時間がねぇというだけのことであるw。
まとめ
よーするに制限・制約の問題である。ゲームは余暇であってプロとかプロ配信者にならん限りやり続ける・継続するのは難しいわけだ。単純に時間の問題でありそれに没頭するだけの時間の質の問題でもある。自由と反自由とでもいうべきかな。そういった対立項の中でもがいていくのがそもそも世に出て働くということであってその対極にあるゲームとは常々対立しがちなのだ。
