あのイーロン・マスクがわずか12歳で作ったゲームをプレイしてみた https://t.co/Ph9d4PUV3U @YouTubeより
— 文野純 (@metta2tubuyak71) October 6, 2025
かの大富豪イーロン・マスクが12歳の頃ゲームを自作して20万円を稼ぎ出したことはとても有名だ。そしてマスクが一般的に有名になる以前から私はゲーム制作が将来子供たちに莫大な富を享受する結果をもたらすという論拠を強く信じている。なぜ子供にゲーム制作を学ばさせるべきなのだろうか?話は単純だ。ゲームはありとあらゆるシミュレーションの産物だからだ。つまりゲームというものはそれ自体が一定のルールに基づいて基準となる新しい世界を生み出すものだからである。つまるところマトリックスの世界だ!
これについてはゲヲログでも過去に記事を上げたことがあるがあらゆるゲームは世界を作り出すので広義のゲーミフィケーションと言えないこともない。ゲームの仕組みを外洋的に使いこなすことでゲームのメカニズムを援用するどころか主用することができるのである。ゲーム制作というものはこれ即ちゲーミフィケーションの教育・教養的意義のあるアクションなのである。ゲームを作るということは実用的な数学やプログラミングの手法を学ぶことでもありしかもゲームの仕組みを広義のゲーミフィケーションとして社会適用できるということだ。だからこそゲーム制作は万世万能なのである。
しかも仕組みを作るだけどころかデザインセンスも求められる。グラフィックスの能力も身に付けられればオリジナリティはその子にとってより貴重かつ実現可能性が高いものになるだろう。あらゆる能力を伸ばせるという点でゲーム制作は最強の教育ツールなのだ。またよく言われることだがゲーム⇒汎用ツールのプログラミング制作は応用が効いてもその逆すなわち汎用ツール⇒ゲームのプログラミング制作はとても難しいという。これまた納得できる論理である。というのもゲームはあらゆる汎用性を持っているシミュレートのツールだから汎用ツールに移行することが容易なのである。反面逆が難しい。
私も金融系の先生の授業を受けたことがあるがその先生の会社は株式や先物の取引シミュレーションを作っているところだった。取引シミュレーターのプログラムは大証のそれよりも優れた性能を持っていて実際にそのシミュレーターに授業中にさわらさせてくれたことをおぼえている。そして彼の会社のトッププログラマーはかの「ドラゴンクエスト」のチーフプログラマーをかって務めていたかただったという逸話も確かに覚えている。ゲーム系のプログラマーはそれぐらい汎用的で優秀なのだ。だからこそプログラマーははじめっからゲームプログラマーを目指すべきと言っても過言ではないと私は思っている。
さらに突っ込んで言うと今後AIがゲーム制作のPGを行いそれに先行して人間が企画を描く時代が来るだろう。だがそれだからといってプログラムを可読可能なエンジニアが必須にならないということはありえない。微調整や修正やバグつぶしあるいは最終的なチェッキングは人間がやるからだ。機械だって回路だって最後に微分方程式を解くのは人間の手によるものだからだ。未だに人間が最後の計算は人の手でやるのである。だからこそ座学も貴重なのだ。加えてプログラミングの基礎基盤を持っておくことは未だに将来の子供のクリエイティビティーを伸ばすうえで極めて重要なのである。
インテルが計算を間違ってペンティアムの浮動小数点数問題においてミスをしでかしたことは計算機科学の歴史の中で貴重な提起になっていると聞く。今回提起したニュアンスとしてはかなりこれに近い。あらゆるシミュレーションを形作る計算機科学の実用においてゲームプログラムは間違いなく役立つスキルになるだろう。それは巡り巡って新しい価値を生み出すイノベーションになるだろう。また領域は無限に広がっていき経営学などの広範な実用的知性にもアクセスするきっかけにもなりうる。すべてのデジタルゲーム的シミュレーションはその意において人生そのものなのである。