バカでも読めるゲヲログ書評「空想金融教室」


Finance is a human invention, shaped by our understanding of the world.
Yet it also shapes the very people who created it.


昔話から読み解く金融の面白さ

この本は、金融(finance)について、古典的な昔話を事例に取り上げながら解説するものだ。ゲヲログが勝手に言う分には、そのコンセプトは随分とシンプルに思えることだろう。しかしながら、本書は金融を主題としているものの、その発想や筆致には、読者を決して飽きさせない工夫が随所に凝らされている。とても面白いのは、昔話の事例を通じて、具体的に金融法や民法についても学べるところだとゲヲログは感じたんだよね。

「竹取物語」から考える所有権と金融の関係

例えば、「竹取物語」の項目では、遺失物に絡む所有権の問題にまで解説が及んでいて、単なる金融分野の解説本には収まっていない。この物語を金融というテーマで紐解けば、当然、土地の所有権や遺失物の帰属といった問題にまで発展する。発想が奇想天外になればなるほど、その議論の領域は加速度的に広がっていくのだ。つまり、お金の問題はお金だけではない。カネに結び付いた気持ちの持ちようであり、理性の問題であり、感情や価値観の問題でもある。

カネはカネだけでは存在しない

これはマジでそうで、カネはカネだけで存在するのではない。そもそも、お金とは単独で存在できるものではないのだ。他人との間でどのような権利や義務が発生するのか?誰が所有するのか?誰に支払い義務があるのか?何を価値あるものと認めるのか?そして、その価値はそもそも誰が保証するのか?こうした議論が常に付いて回る。それでこそ金融なのである。カネとは、人間の考え方や価値判断を反映し、それらを数値として表現・処理するための仕組みでもある。

金融とは人間が紡ぐ物語である

思うに、金融というものは、かなりの範疇において人間による人間のための物語である。カネという、人間が生み出した貨幣という発明だけに議論を限定して、すべてを完結できるものではない。たぶんだけど、お金というものは、確かに人間が自ら発明し、その運用ルールまで整備してきた歴史を持つ。だが、そこには人間の欲望というか、それよりももっと広大な、人間の内側で渦巻く感情が根源的に存在している。カネというものは、そうした人間の営みに付随する人造物にすぎないのだ。

貨幣という発明とテクノロジーの進化

だからこそ、人間が発明したお金という人造物・創造物は、それだけのものには収まらない。人間の劇的な発想の転換によって、お金は電子マネーや暗号資産のように抽象的な形態を取ることもできるし、ルールが高度化すれば、その様相もさらに変化し、変容していく。カネの発明とは、連綿と続いてきた人間の技術開発の歴史そのものでもある。おそらく、そこには技術的な側面も多分に含まれている。暗号資産がITによって貨幣価値の共有や移転を実現するように、金融の問題は技術によって発展的に解消されることもあれば、逆に新たな複雑さを生み出すこともある。

「シンデレラ」から考える現代社会の経済的価値

本書は、みずほの関係者が監修しているのだが、この問題の根深さについては、監修者自身も認識していることだろう。例えば、シンデレラの項目では、「シンデレラは動画配信者になったら大金持ちになれる」といった趣旨の議論が展開されている。こうした話を理解するには、テクノロジーに関する解説まで参照しなければ、その本質に触れることすら難しい。複雑化した現代社会では、知名度・視聴者数・広告収入・著作権・プラットフォームとの契約などが、新たな経済的価値を生み出している。だからこそ、カネは単なるカネの問題ではなく、社会全体に関わる問題なのだ。

金融教育に潜む企業のビジネス戦略

そして、なぜ、みずほのコーポレートサイドが、わざわざこんな本を書くのか?という点でも、興味深い示唆が得られるとゲヲログは思う。なぜだろうか?ゲヲログなりに、ちょっとだけ考えてみた。それは、カネの問題を若者に考えさせることで、将来の顧客を獲得するという、極めて実利的な狙いまで内包しているからではないか。カネを増やしたい、カネの問題を本質的に解決したい……。そうした考え方に触れさせて、「これ、面白いじゃん」と、まずは読者や若者に思わせるのだ。

若者への金融教育と未来の顧客獲得

すると、その若者が将来、お金を動かす立場になったとき、みずほの顧客になってくれる可能性もある。そういう、ある種ビジネスとして合理的すぎる、少々アクドい皮肉を、へそ曲がりのゲヲログとしては思いついてしまった。つまり、みずほのビジネスの一環として金融教育が存在する、という側面は、みずほ自身も否定できないはずなのだ。もちろん、そこには企業の社会的責任という側面もあるだろう。しかし、昨今の金融をめぐる事件や不祥事を見ていると、そんな綺麗事だけでは済まされない、多面的で根深い問題が存在していると感じる。

人間と貨幣が相互に変化させる社会

確かに、お金というツールは、人間が主体的に発明したものだ。しかし、カネが人間社会に入り込んだことで、人間の行動や価値観、法律、技術までもが変化してきた。そして、その変化が逆にカネのあり方にも影響を与えてきた側面がある。つまり、お金というツールは一種の関数のようなものであり、そこに何らかのインプットを与えれば、アウトプットとして我々の社会に跳ね返ってくる。しかも、その関係は一方向ではなく、相互に影響し合うものなのである。そうした循環が人間の歴史を形作り、人間の欲望を原動力とする資本主義を構築してきたのだ。

昔話から人間そのものの歴史を読み直す

昔話を金融という視点から読み直すことは、実は人間そのものの歴史を読み直すことにほかならない。皮肉なことだが、本書が提起しているのは、そうした人間という存在の基礎的・根源的な側面ではないだろうか。ゲヲログは、本書が提示する一連の事例を通じて、そう感じたのである。シンデレラ・ヤンデレラ・死んでれら…

P.S.次は「寄食者の哲学」に挑戦します!