2026夏シーズンの新アニメ版「攻殻機動隊」は失敗作なのか?


(スタブ)


新版「攻殻」は賛否両論?

たしかに賛否両論なのは良く分かりますよ。でもね、新版の「攻殻機動隊」が一辺倒に悪いってのはトントおかしい。そもそもシロマサの漫画はかなりの程度シリアスさの中にコミカルな一面を持っている。「アップルシード」だってそうだし、そもそもの「攻殻機動隊」も、ある種ギャグマンガである点が多々あるんですよ。これが、「ドミニオン」とかだとさらにそう。てかぶっちゃけ、シリアスな漫画ってシロマサ初期にひとつでもあったか?かの伝説「ブラックマジック」でさえ、結構な才能あふれる漫画だったんだよね?

シロマサ漫画の共有項:コミカルさ

例えば、例の清掃員の家族の記憶が全部人為的に作られたものだったっていう話は有名ですよね。でも、これもコミカルにシロマサは(最後の落ちで)落とし込んでいるんですよ。「アップルシード」だってそうですよ?そう私が主張するのも具体例がある。例えば、デュナンがブリアレオスに説教されるシーンが冒頭にあるよね?「いつか命を救ってくれる仲間をそうこき下ろすべきじゃない」って。あそこも原作ではコミカルになってます。だって、漫画ってそういうもんものであって、「攻殻機動隊」だって「アップルシード」だって、古臭くて観念的でムズカシイジョークがいっぱい飛ぶんですよ。コミカルさもそこに並立してある。

原作漫画の難解性

もともと、シロマサの漫画は前提となる知識がないと読めない。だから言わば、デッドループ状態が常なんだよね。シロマサの漫画ってね、コマの枠外や背景に、狂気的な量の所謂「シロマサノート(注釈・解説)」がびっしり書き込まれていますよね。政治、経済、量子力学、脳科学、宗教、果てはオカルトまで、あらゆる専門知識がごった煮になっていて、読者は常に「これ、どういう意味?」と脳内検索を強制される。むしろ、シロマサ自身がそこをネタにしている(曰く「誤用にはお気を付けください」とのこと)ぐらい。

その事例

例えば…観念的ジョークの難しさはその筆頭だ。作中でキャラが軽口を叩いているのに、そのジョークの元ネタが「ハイデガーの存在論」だったり「神智学の専門用語」だったりする。だから、クスッと笑うためには読者側にも同等かそれ以上の教養や前提知識が求められるんだよね。次点、終わらないデッドループはどうか?セリフの意味を理解しようとして枠外の注釈を読むと、そこにはさらに専門的な専門用語が並んでいる…結局「単行本を何往復もして、自分で調べないと構造が理解できない」という無限ループ(デッドループ)に陥る。

シロマサ漫画のお作法

だけれども、あの脳に負荷がかかる似非知的体験こそが、本来のシロマサ作品の「お作法」だったはずなんよ。そもそも、あれもう数十年以上前の漫画だろ?そこに(あるいは原作を意識した映像化作品に)古臭さを残さないことを望むのは酷なんですよw。一般的に歴代のシロマサ漫画の映像化作品の監督が云うには、「難解でシリアス」なところだろうと思う。けれども、この「難解さ」ってのは、押井版の映画が持っていた「静謐・哲学的・実存主義的難解さ」であるわけよね。そこに言わば”モレた”映像化作品が数多いのはみんなも知っているよな。

ペダントリー(知識自慢)的な難解さ

だからこそなおのこと言える。本来の原作が持っていた難解さは実は真逆の論理でもある(と捉える人がいても何らおかしくはない)。「情報過多で、ハイコンテクストで、ペダントリー(知識自慢)的な難解さ」なわけだよね。そしてその過剰な情報量の中で、キャラたちは割とドタバタとコミカルに動いている。そこを押井監督は逆手にとって芸術にしちゃったんだ。この流れがあるからこそ、DVD売上ランク付けをしたビルボード誌面で一位取ったりしてる。過去作しっかりと意識して作れよ・これそもそも「攻殻」じゃねえだろ・知的興奮に欠けるよ…と評するのはようわかる。

不可能を可能にする力

でもね、そもそも「攻殻」だろうが何だろうが基本的にそのまんまでシロマサ漫画の映像化は不可能。ありゃ漫画だから成り立ってるんだよね。逆に言えば、原作準拠で作っている新版「攻殻」には挑戦心や再現心がある。ゲヲログは十二分に評価できると思うよ。んで、そこをファンだからって言って、ごっついても意味ねえんだよ。そして、映像化の不可能を可能にしたのが押井とかSACの監督さんとかなんだよね。だってこの路線・作画で原作準拠じゃない方法論で映像化はそもそも不可能でしょうJK。