AI時代を迎え岐路に立つ音楽業界


We are now entering the age of AI-generated content. So, how should we navigate this era of AI-generated content in today’s music industry? What path should we take? I believe that path lies not only in microtonal techniques but also in process innovation. Leading the way in this endeavor is GYARI, a visual-style YouTuber.


一昔、ひとつの音楽がらみの記事をゲヲログが上げたことがある。率直に、「ええ?これってAI音楽だったの?」ってゲヲログは思ったんだけど…よーするに、マジで間違いないことはAI時代を迎えて音楽の世界が岐路に立っている…ということらしい。あまりに技術進展が凄すぎて、AIの作った音楽と人間の作った音楽とで違いがわからん…”それ”に該当するときは、少なくとも、クレジットに×AI(クロスエーアイ)を表記すべきとの声があるようなんだよな。

実は、音楽は12音階だけではない。現在、こうした傾向が出来てしまっているのには、理由がある。12音階の音楽というものが事実上のフォーマットになっているからだ。というのもドレミファソラシドとその間にある黒鍵だけで作る音楽は、当然表現幅が狭まってきている。構造がそれほど難しくはないので、人の考えたフレーズやコードには定型性が出来ているのだ。だから、「このアーティストはあの別のアーティストの音楽をパクっているのでは?」という疑念も当然生じる。

この問題を解決するのが、微分音だという専門家がいる。つまり、音楽というのは、いわば西洋式フォーマットである12音階に絞られる必要がないのではないか?というインスピレーションのことを指すらしい。例えば、シとドの白鍵の間に音がないのか?というとそれを微分(細かく切断)することで音の分割点を多く見出すことが出来る。新しい音楽を多く発見できる…という発想から裏付けられた音楽界の回帰的理論のことである。

ただし、この理論と言えども、17音階に12音階が単に拡張されるだけという根幹的な問題~というだけの単純な論ではないという反意はあるだろうが~は積極的に解決されないことが見込まれる。微分音を多く使って、ラッパーの歌う音楽・音程のように、既存の音楽をいくら拡張しても、AIの持つ無限性と人間による限界点に対抗することはできないのではないか?という見方も強いはずだ。音楽はフォーマットの芸術活動であり、創造性との埋め合いの産業であるから、こうしたproblemも多く頻発する。

この問題には、当然派生系も数多く考えられる。例えば、xAIと言っても、その間にはいくつもの工程があって、どこからどこまでを人間が手掛けたか?という問題も並立するだろう。AIが作曲だけを手掛け、人間が歌唱したもの。人間が途中からAI作曲に介入して、まさにxAIの名に同調したもの。作詞だけは人間の手で行ったもの等。いくつもの段階があって、いくつもの派生があるが、ハッキリ言って根源的な問題の解決は見込めないだろう、とゲヲログは考え始めている。

例えば、じゃあアイデアやイデアルな形をAIに聞いて、ヒントを得ることすらダメなのか?という問題ももちろんあるだろう。他人の作風を参考にしてこそ創作は生まれてきた。音楽だけではなく、文章や絵画もそうである。アニメだってそうだろう。よーするにAIの技術的滑車は既に回り始めてしまったのだ。これを解決する根本的な理論を作り上げるのは、この「複製性の時代」において、到底無理がある。どこからどこからまでを規制し、AIの持つクリエイティビティーを上手い具合に人間が汲み上げるのはそれだけ難しい…

既にサブスクという、その配給に近い形では、そうした「複製性の時代」に近しい概念は存在していて、そのメジャー性は覆すことが出来ないほど世界を覆っている。特定の音楽家がその内容に苦言を呈するのも、「創作性の時代」においては理解できたことである。だが、「創作性の時代」は「複製性の時代」に取って代わられちゃっている。サブスクを意外性なく受け入れた、我々人間側がAI音楽を意外性なく受け入れない、というのは、かなりの範疇でテクノロジーの皮肉とも言える。

この流れに対抗するのが、ゲヲログは「プロセス・イノベーション」だと述べてきた。例えば、GYARIの音楽にはそれがある。音楽を作る過程自体をコンテンツ化したり、映像や工夫性のあるライナーノーツとコンテンツ的に組み合わせて作り配信することで、(例えば音楽に限って言えば)音楽消費の形自体を変容させることを、GYARIは自然と(意図せずに)提唱しているのだ。第三の要素を人間側が音楽に組み込むことは、AI時代における対抗策にもなるし、上手い具合の”汲み入れ”にも該当する可能性がある。

だが、これだけで希望をもってして、人間が創造性をその手中に取り戻すほど楽観視はできない。


「音楽は感情の数学である」 − Claude Achille Debussy