「氷の城壁」と「薫る花は凛と咲く」~両漫画を比較して見る「心(こころ)」の問題の方向性


Today’s topic: The common ground between the two manga series, “The Ramparts of Ice” and “The Fragrant Flower Blooms with Dignity.” This common can be described by the phrase “breaking through mental barriers.” Koyuki’s struggles stem from bullying, while Rintaro’s stem from prejudice. Nevertheless, they are bound to inevitably create a more fulfilling future for themselves.


似ているのは、両者とも「心の中の壁(若者が思春期特有の不安定さの下に作ってしまいがちな心理的障壁)」を取り扱っているという点だろう。「氷の城壁」の主人公:氷川小雪は中学時代のいじめ体験のトラウマを持っていることで他人と上手くコミュニケートできない。相対するように、「薫る花は凛と咲く」の主人公:紬凛太郎もバカ高校に通っているという自負がある。つまり、この二つの漫画の共通項っていうのは、メインの登場キャラが、その人生における過去及び現在の時点で、大きな心の穴を持っているという点だろう。

ここで重要なのが、この刻苦の過去☛そしてそれに基づく受難の現在という時系列の設定項だと思う。つまり、過去そういった辛いこと(いじめや学力の問題)があって、現在もそれを引きずっている点で、両漫画は共通している設定項を持っている。この点でより深刻なのが、どう考えても「氷の城壁」の氷川小雪の方である。氷川小雪にはいじめの体験・仲間外れの体験があり、それに対して紬凛太郎は学力の問題がある。これは作中で挙げられている実例である。紬凛太郎は、仲間がいっぱいいるのでその点それほど深刻には思っていない。同世代設定の中でも、氷川小雪は長年孤独と戦ってきた経験がある。

さらに重要なのが、両漫画共に未来を描いている点であろう。辛い過去の体験・現在の報われなさに対し、希望ある未来を自分の力で築こうとしている。ここは氷川小雪も紬凛太郎も全く同じである。過去・現在のキツイところを未来への力へと変容させる…この若者の力を、両作は描いている。此処に至って、「心の中の壁」は間違いなく打破のほうにそのベクトルが動いている。自分の力で自分の道を切り開く若者を描いている…この点で、いわば青春小説のような群像劇が織りなされているのだ。過去に追った傷・現在におけるその試行結果的受難・そしてそれを跳ねのける未来への勇気…しばしば小説などで語られてきたトピックではある。

だが、もっともっと言うと、両作共に、単なる恋愛漫画の枠を超えているという点まで、発展し考えられる。これは価値の問題として、「自己肯定感の低さ」や「心理的な防衛本能」をどう克服するか?という、人生における普遍的テーマを扱っている点において、両作共に似すぎるほど似ていることを示唆する要素だろう。人生のシミュレーション・人生の早期段階における刻苦・受難をどう克服するか、という疑問的テーマの提起点において、共通の項目を多く持っているのである。それは、漫画というシミュレートの作り話ではあるものの、現実に・リアルに迫る若年の現代的な問題をも提起している。つまり、現実性があるのだ。

その意において、小雪の「冷徹に見えるほどの拒絶」はイコールで紬凛太郎の設定と十分に結ぶことができる。紬凛太郎の場合、それは、それが「強面で人を寄せ付けない外見」である。元を辿れば、(いささか小雪のほうが厳しい状況を持ってはいるという違いはあるが…)自分を守るための生存戦略を練り、そのうえ防衛本能を発揮しているに過ぎない。もっとツッコんで言うと、この両者特有の問題は、内面の問題と同じようにそれが現れるルッキズムの視点・観点にかなり近い。外見が内面たる心を描画し、その発揮によって成立している、見事な完成度高いストーリーがあるわけだ。

(限定的と言えども)彼・彼女らの周囲・世間はこう捉える。氷川小雪は「冷淡な女」・紬凛太郎は「粗暴な底辺」である、と。この「外見からの決めつけ」=ルッキズム・ラベリングは、思春期の若者にとってかなり残酷な心理的障壁(心の壁)となる。物語の推進力は、既に述べたように、この壁をどう打破するかと言う点にこそある。あくまで、恋愛はそれに乗じた他人への理解という、純粋精神に過ぎないとも言えるだろう。もちろん、それは人間の本質を描く青春の話だから本人にとっても他人にとっても尊重されるべきものである。

未来に向かって過去及び現在の状況的打破を描く…これは、単に仲間同士で仲良くなる、ということではないことをこれらの漫画作品は問うているように思う。外面的外見障壁・派生的内面心障壁をどう突破し、どのように人間の「心(こころ)」にふれる瞬間が集約されるのか、を切実・丁寧・根底的に描くのだ。だからこそ、青春の話として、これらは捉えられ、読者の「心(こころ)」を離さない魅力を持っている。此処に至って、その「心(こころ)」の存在的スカラーは動義的ベクトルになりシミュレーション・作り話の方から、現実世界という我々の方のシミュレーションに向かっているように、同時な深刻さでもってして思えてならない。