未来永劫伝えていきたい訓示
— MAYO (@Over_with_Low) December 18, 2024
台湾の電車内で刃物による攻撃を阻止した男性、『葬送のフリーレン』の「勇者ヒンメルならそうした」とコメントし話題に @IGNJapan https://t.co/rmDl1GrUz5
What does “Hero Himmel would have done the same” really mean?
It sounds simple, but most people don’t truly understand it.
「勇者ヒンメルならそうした」—この一言、誰もが認めるように「葬送のフリーレン」を代表する言葉である。勇者ヒンメルの“在り方”をガチで象徴する台詞だよな。しかも、コレ単なる決め台詞じゃねえ。物語全体の価値観を背負っているのがポイントだ。現にヒンメルは、死後も(というより死後だからこそ)みんなの記憶に残って影響を与え続ける。マジの英雄だから。
よーするに、この言葉ってのは「こうするのが正しい」(絶対正義)じゃなく、「あの人ならどうしたか?」(相対正義)という他者を基準にした倫理のことを指示してるものなんだよな。では、ゲヲログとして、それがなぜ【愛と勇気と感傷の物語】になるのだろうか?ここで言うこの三体ちゅーのはどういうものか?それぞれ愛・勇気・感傷について述べてみると…まぁ、こうなる。
・愛:ヒンメルは見返りを求めず人を助ける。その優しさが他人に受け継がれる。
・勇気:危険でも“そうする”選択をあえて取る姿勢(所謂「フリーレン台湾事変」で現実的に立証済)。
・感傷:彼はもういないのに彼と一緒に見た夢と理想だけが残っている切なさのこと。
フリーレンにとって、この言葉は後悔と理解そのもの。生きている間にちゃんと向き合わなかった相手(ヒンメル)。その価値を死後、少しずつ知っていく。この流れを見ると、この言葉はシンプルそうに見えてかなり重たい一言だよね。愛は外部に与えられるものである…こんなのは全ての人が本来は知ってはいる。だが、そのうちの大半がその本質に気付いていない。
愛ある言葉は、むしろ「自分ならどうするか」よりももっと厳しい問いを突きつけてくる言葉ですらある。というより、「自分ならどうしなければならないか」(強制感)を内面的に裏付ける言葉なんだよな。つまりヒンメルの愛というのは「解釈の更新」である、と考える方が妥当。誰かに影響を及ぼすということはそういうことだから。影響は人をつたい伝播していくのだ。
だからそいつ(愛)によって次に、勇気が奮い起こされる。自分ならば(ヒンメルの影響を受け)どうする?あるいはどうしたい?もっと言うとどうあるべき?つまり、義務として価値観が変容するのだ。自己拘束と言っても良いだろう。英語で言うところの助動詞MUSTである。そいつが常に付きまとうっていう感じだな。それは感傷として感情になる、そのうちに時間差ある理解になるのだ。
・愛:更新される他者像(外部☛過去)。
・ 勇気:自己拘束(自己発生=内部☛未来・将来)。
・ 感傷:時間差の理解(空気☛時間軸)。
カッコ付で追記してしておいたが、この三体の対象と時間の関係を見ていくのも面白い。愛は外部に対するものであり、勇気は自発的なもの・自己発生的なものである。感傷は流れの感情だから、外部・内部ですらなく、どの主体にも属さないいわば空気みたいなものだ。加えて、時間として、愛は過去・そして勇気は未来・将来、感傷はその主体無き時間軸のことと捉えるのが自然だろう。
「勇者ヒンメルならそうした」は、過去(ヒンメル)を現在の判断に持ち込む言葉である。それによって選択の余地が消え、「そうするしかない」という勇気=自己拘束が生まれる。これが義務だ。そして後になって理解が追いつく。感傷という“時間差(時間軸)の意味”になるんだ。「勇者ヒンメルならそうした」は、恐らくハイデガー的な「存在と時間」のことを指示しているのだろうな。
