noteにてjump氏が漫画「ハイキュー!!」の魅力について優れた論考を記していたのでそれを元手に(好き勝手に)補講してみた

ハイキューの魅力についてjumpさんがnoteにて語っている(「『ハイキュー!!』はなぜこんなにも人を魅了するのか」)。私も劇場版をネトフリで見てから今更ながらハマっている口だがこのjumpさんの評論はネット上で見かけた論考の中で一番良く出来ていると私は思う。それを振り返りながらハイキューアニメ勢が一生懸命ハイキューの魅力について(想定できることも含め)考えてみたい。劇場版第二幕が待ち遠しい…俄かファン(私の場合トレンドに遅れてハマるアニメ/漫画が多いようだ)がそういう状況でいささか興奮しながら書いてみる次第。

まずjumpさんは「敗北のエトス」(正確には講の中では「負けと挑戦」とされている)について持論を述べる。誰もがいつか敗北する。どんな努力をしてもどんな功績を上げてもそれを後に続く後輩たちによって上行かれる。技術や考え方が変われば既存の記録はいずれ破られるのだ。スポーツは科学技術の進化が如実に表れる世界だからこれは当然のことである。用具だけではない。トレーニングの理論や統計学を用いた分析…いくらでもソリューションがあってそれが次々と適用される世界だ。さすがにここまでjumpさんが評してはいないが根源的には同じことを言っていると私は思う。社会人になってバレーボールを続ける形でこの漫画は終わるがショウヨウは一流のプロではない(影山はそうだが)。現実的な描画がここにはある。いわば+のベクトルを持つ「敗北のエトス」である。

次にjumpさんが挙げたのが「誰しもが主人公」。これにも現実的な意味があると思う。というのもこおの漫画は主人公ショウヨウだけにフォーカスしている漫画ではないことが明白である。たしかに主人公がメインプレイヤーだが他の多くの登場人物がいてそれぞれのストーリーを持っている。よって解釈が多段的に出来て好きなキャラクターが集中しないのだ。多くのバレープレイヤーがいて多くのスタイルを持っていてそれぞれが魅力的な人物像を持っている。それは「もちろん(基本的にはスポーツマンシップという点で)いい性格のやつしかいねえじゃん」になるのだが誰もがそれぞれの性格・性質を持っているがために見返して人のありかたを再発見できるのだ。

さらにこの論考の中で「「繋ぐ」の表現」をjumpさんは挙げる。はっきり言うがここはまぁ蛇足である。バレーはチームプレイらしいからこういった表現が如実に王道な少年漫画の要素として読者を勇気づける点があることを指摘したい気持ちが良くわかる。仲間と共闘しないと勝てない。だから次に繋ぐ。物語を前に進めるために繋ぐのだ。「なるほど!面白い!」というわけ。そして次の要素が凄く重要。ここがかなり重要何で改ページさせていただきます!

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