ゲームエンタメ領域との類似性
そして、この構造はゲームエンターテインメントの世界にも、かな~り似ている。そもそもデジタルゲームとは、人間が何らかの操作を入力し、それに対してコンピューターが反応することで成立する娯楽である。プレイヤーの予想を超える出来事が発生したり、思いがけない攻略方法が見つかったりする。そうした発見や驚きこそが、ゲーム本来の魅力の一つであるはずだ。しかし、現代のゲーム市場では、必ずしもそうした創造性だけが重視されているわけではない。
ゲームセールスの考え方
例えば、一定のセールスを記録したゲームがあるとしよう。そのゲームが商業的に成功したのであれば、似たような作品を次々と制作することで、再び成功できるのではないか?という考え方が生まれる。これは、過去の成功事例を分析し、売れる可能性の高い商品を開発するという意味で、極めて合理的な判断である。だが、本来あるべきデジタルコンテンツの姿とは、果たしてそれだけなのだろうか?そうではないはずだ。
自由競争は過当競争を生み出さない
既存の成功作に似た作品を量産することが、必ずしも新しいゲーム体験を生み出すとは限らない。むしろ、これまでになかった発想や、既存の作品では実現できなかった遊びを提供することにこそ、新しいゲームが登場する意義があるのではないだろうか。もちろん、既存作品を参考にすること自体は悪いことではない。だが、商業的な成功を再現することだけが目的になれば、新しい発想に挑戦する動機は弱くなってしまう。
イノベーションの枯渇
つまり、成功を合理的に再現しようとする行為が、逆説的に、新しい成功を生み出すための創造性を制限してしまう可能性があるのだ。ここに、イチローの野球論とデジタルゲームの創造性をめぐる問題との共通点がある。未来の出来事には不確実性がある。絶対的な最適解が存在するとは限らず、統計的に正しいとされる選択が、常に最良の結果を生み出すとも限らない。だからこそ、人間は「頭を使う」必要があるのだ。
経験知と実践知
この考え方は、経験知や実践知を重視する立場からすれば、極めて重要な意味を持つ。現場で起こる出来事を観察し、過去の経験と照らし合わせ、その場で判断する。その過程で、既存のデータからは導き出せなかった新しい発見が生まれることもあるからだ。一方、明確な目標に対して最短距離で到達しようとするならば、統計的な合理性を追求することにも十分な価値がある。勝率を高め、効率を改善し、再現性のある成果を得ることは、スポーツでもゲームでも重要な目標である。
数字に表れない気付き
しかし、それだけで野球やゲームの価値を説明できるわけではない。数値化できる成果を追求することと、数値化しきれない魅力を追求すること。この二つは必ずしも対立するものではないが、前者ばかりが強調されれば、後者が軽視される危険性がある。イチローが語る「頭を使う野球」とは、まさにその危険性を指摘するものである。データは判断を支援することができる。しかし、判断そのものを完全に代替できるとは限らない。
データに振り回されないことの重要性
野球であれ、デジタルゲームであれ、過去のデータを超える新しい発想が生まれる余地は常に存在している。つまり…データを使って考えることと、データに従うだけになることは、まったく別の話なのである。そして、既存の最適解を疑い、時にはそこから逸脱する勇気を持つこと。それこそが、人間にしか生み出せないプレイの創造性であり、野球やデジタルゲームを面白くする根本的な要素なのだ。イチローはこの意において、未来と人間の双方があるべき立ち位置を表現したのだろうね。
