それが、扱っているテーマである。両者は似ているようで、実はかなりテーマ性が違っているんだ。「みぃ山」が扱っているのは、障がいという差別的なところ。「タコピー」が扱っているのもいじめというある種差別的なところ…だと一見思われるけど、その後の希望をしっかり現実主義的に描いている。だからこそ、「タコピー」が炎上しないのだ。ここは誰でも思いつく理由のうちの一つだと思うよ。よくありがちなテーマに見えるけど、相違がやっぱあるのよ。
みぃちゃんってのは、ある種言ってしまえば境界知能のある形のひとつの形態じゃないか。しかもそこに突出して情報を割いている。だから、センシティブすぎて、オブラートにくるみようがない現象を発揮しちゃっているんだ。対して、「タコピー」が作品として描いているのは、いじめと和解である。つまり、両者は言いしえぬ絶望を描いているものと、現実的な希望を描いている点で相違ある。これが、決定的に違うところ=結末の違い、である。
まず、ここまでが第一の理由だよな。第二の理由もあるよ。それが物語としての完成度、である。障がいとかいじめってのはかなりセンシティブな内容表現だけど、物語が高く完成しているかどうかもまた、漫画としては重要・貴重なんだよね。なんでかって言うと、センシティブなことを描くから、芸術的にあるいは現代漫画的に高く完成してて、しっかりと合理性があるかどうかが世間的に問われちゃう。内容が内容だけにそこに答えられているかどうか?っていうところよ。
つまり、向かっているベクトルが”実は”真逆だからこそ、その正当性が問われるんだよな。「みぃ山」は境界知能の問題を描こうとしてテキトーに終わっているってのがファン(とされる読者層)からの批判。対して「タコピー」はしっかりと形づくって人と人の物語を描ききっている。だから、両者には大きな差異・スパンがあるのだ。この間(はざま)は、どうしたって埋めようのない差異である。もう決定している決定論的に差異・谷がある。
あと物語の完成度ってか文学的な構造っていう名目もあるね。多分これも第三の理由だ。つまり、完成度を担保するための、物語性の充実度っていう要素も見逃せない。物語の構造的に工夫がいくつかあって、そこが魅力的になっているか否か、ってことだ。ハッキリ言うが、行き当たりばったりで描かれていて、何を描きたいか「みぃ山」はわからない。だから批判や、それよりももっと低俗な避難をされるのだ。よーするに、残念な出来ってことな。
対し、「タコピー」のほうは重層的な物語がきっちりとつじつま合って、描かれるがため全体的な完成度が高いっていう名目よりかは文学構造的にも評価できるっていう名目も同時に立脚しちゃってる。個別事案でも良ければ、俯瞰事案でも十分良い出来になっているのだ。しかも、矛盾が最高に少なくまとまってて、無理が生じていない。前者「みぃ山」は、いささか、無理が生じ過ぎているんだよね。テキトー過ぎる…っていうのかな。
この三点がらみで、もうちょい広く深く追ってみよう。
