まず、両者の作風には大きな違いがある。絶望の単純消費が「みぃ山」ならば、救済のロジックが「タコピー」である。つまりこの時点でテーマに違いがありすぎる。テーマ性の違いだな。「みぃ山」は商業主義の中で、納得いくほど合理的かつ正当化的なロジックがない。だから炎上する。絶望感を醸し出しておいて、現実主義観を醸し出して置いてテキトーに終わっとる。ハッキリ言うけど、漫画として駄作だと思うよ。だって絶望を消費してるだけだから。尻つぼみになっているのも頂けない。
対して「タコピー」は、いじめや家庭不和を描いていて、一見天井がない問題を扱っているように思う。だが、結末・エンディングに至るまでに着地点をしっかりと類推できるようになっている。ループなんてありきたりじゃんっていうけど、物語の時間軸に差異をわざと設けてみることで、一貫性をむしろ増幅させているのだ。そこが完成度・テーマ性の分け目でもある。
内容的にも「タコピー」には必然性があるのに対し、「みぃ山」には積極的なそれがない。不条理さで終わっちゃっているんだよね。結局のところお涙頂戴っていうか、こういうのもあるよ!っていう提案状態だけで終わっている。これをゲヲログは、為末化と勝手に呼んでる。「こういう話もあるよ」「別な視点だってあっていいじゃん」で意見が終わっててヘーゲル的に逍遥していかないんだよね。だから、現実から浮世立っちゃって、ある種の低俗エリート的なものに成り下がっちゃっているのだ。よく見るオピニオンだよ。
「タコピー」には必然性があるってのは欠いた通り。伏線の回収も見事だし、論理の上での整合性もしっかりと幅取ってる。行き当たりばったりじゃなくて、キャラの苦難が作者の都合だけにも依っていないのだ。だから、物語の読後感が良くて、前者「みぃ山」はどうでもいい出来。悪いっていうよりかはどうでもいい漫画になってる。だから、ゲヲログも単行本すぐに売ったよ。これは、「この漫画が凄い」シリーズに泥を塗ったよね。それぐらいどうでもいい漫画。凄くとも何ともないんだよ。
ただ物語作ってみました!としっかりと描ききってみました!では全く違ってくる。その差が「みぃ山」と「タコピー」の炎上性と非炎上性の分別に繋がっているのだ。読者層も前者はレベルが極端に低いのに、後者は極端に純粋で高い頂を目指そうとする、その漫画としての力量をガッツリと感じさせる・感じたい出来になっている。よーするに、漫画作品として描きたいものは何だったのか?っていう問いに関して、自然な答えが導き出されてないor導き出されているの違いなんだよね。
単純に商業主義っていう意味では同じだよ。でも両者にはレベルがありとあらゆる点で違いがありすぎるんだ。「みぃ山」はハッキリ言って、差別そのものの低俗性を描いただけの凡作。どうでもいい漫画作品。対して「タコピー」はセンシティブなテーマ性の点では似通っていても、あらゆるレベルで高次元の芸術表現になってる。だから、いずれにせよ商業的であっても、後者のほうが合理性がある。JK(常識的に考えて)っていう略語がこれほど合う理由付けもないと思うよ。
一言で言っちゃうと、必然性、なんだよな。
