やるべきことが決まっているゲームとやるべきことが決まっていないゲーム
やるべきことが決まっているゲームはプレイしていて楽である。迷うことがないから。極端に言うと「HoI」と「Civ」の違いだと思う。「HoI」はやるべきことが決まっていなくて「Civ」はやるべきことが決まっている。「HoI」は歴史を複雑に紡いでいくゲームだが「Civ」は世界一の文明を限りある時間内で作り上げるゲームである。反面その分「HoI」は自由度が高い。すごく高くて何でもできる。これが他のパラドゲーだとさらに自由度が高い。そして実はこのルート取りは伝統的ローグライクと呼ばれるゲームジャンルでも同じである。
伝統的ローグライクでもその構図は同じ
例えば伝統的ローグライクゲームでも「風来のシレン」や「Tangledeep」はやることがかなり直線的である。つまりやることが決まっている。シミュレーションでいう「Civ」に近いのだ。単純に深部を目指して潜り込む。そしてステージをクリアリングしていってゲームは進行していく。最終的にボスを倒す。なるほどわかりやすいわけである。対して「Caves of Qud」や「The Doors of Trithius」はやるべきことがそれほど決まっていない。確かに最終的に謎を解くだとかボスを倒すってのは同じだけど自由度が高く曲がりくねっているのでわかりにくいのである。
プレイヤーのストレッサーの問題
これはプレイヤーのストレスの問題と似通っている。やるべきことが決まっているゲーム「Civ」「風来のシレン」「Tangledeep」はストレッサーが少ない。なぜか?明確な目標があり、プレイヤーはそこに向かって一直線に進んでいく。択は多数あれどもそれの伴う迷いは少なくプレイの進行がテンポよく進むのでストレッサーが少ないからである。またそのために初心者でもとっつきやすくプレイ体験が比較的均一である。故にレビューも安定する。やること自体に悩む時間が少ないため集中力をプレイそのものに向けやすい。紛らわしいところがないのである。
自由(フリーダム)と混沌(カオス)
目標はあるがそれに至るルートは多様でプレイヤーに大きな裁量が与えられているゲー厶…つまりやることが決まっていないゲーム「HoI」「Caves of Qud」「The Doors of Trithius」はストレッサーが多い。なぜか?世界観やシステムが複雑に入り組んでいて択の多すぎさがプレイ体験の主軸になるからである。もっと言えば自由度がかなり高い分何をしていいかわからねぇ…っていうケースがままある。ここにプレイヤーは不安を感じる。もちろんそれ故ゲームの設計がハマったときったときの没入感は格別である。パラドゲーがわかりにくくも神ゲーとされる理由がここにある。自由(フリーダム)と混沌(カオス)の中自分なりの秩序を見つけていく楽しさがあるのだ。