日本の野党に求めたい一歩引いて考える力


What I Want from Japan’s Opposition Parties: The Ability to Step Back and Think


高学歴でも良い議論ができるとは限らない

以前からゲヲログが感じていたことなので、この際、考えてみます。日本の野党の言動を見ていると、「なんでそこまで相手の批判に終始するのか」と、うんざりする場面があるんですね。高度な教育を受け、あるいは組織を動かす仕事を経験してきた人が、なぜその知識や経験を問題解決に生かせないのか。ゲヲログは、その理由の一つに「自分の立場から一歩引いて、全体を見渡す姿勢の不足」があると考えています。

思考は事実を確かめることから始まる

物事を考えるとき、出発点になるのは、実際に何が起きているのかを確かめることです。現実を観察し、資料を読み、関係者の話を聞く。そのうえで問題を整理し、原因を考え、実行できる改善策を組み立てる。提案したら終わりでもありません。実際の効果を確かめ、不十分な点があれば修正する。そうやって、観察と提案と検証のサイクルを回し続ける。ゲヲログが政治に求めたいのも、この姿勢です。

相手の失点を探すだけでは議論は進まない

このサイクルが機能すれば、討論は改善につながっていくはずです。ところが、ゲヲログが野党の一部の議論を見ていて気になるのは、相手の失点を見つけることに力を注ぎ、その先が見えなくなる場面です。何を明らかにしたいのか、どの問題を正したいのか、その目的が伝わってこない。相手を責める言葉だけが積み重なっても、問題の整理や解決には近づけません。そこが、マジでどうなのよ、と思うわけです。

国会の追及は政治を改善するためにある

もちろん、与党の問題点を指摘し、権力を監視し、責任を問いただすことは、野党の重要な仕事です。その仕事も、事実を明らかにし、より良い政治につなげるためにあるはずなんですね。追及によって説明を引き出し、問題を是正させることには意味があります。しかし、相手を困らせたり、恥をかかせたりすることばかりが前に出れば、議論は個人攻撃に近づいてしまう。国会で問われるべきなのは、その追及が国民にとって何を明らかにし、何を変えるのかということです。

一歩引いて相手の判断の前提を聞く

では、「一歩引いてバランスよく考える」とは、どういうことでしょうか。ゲヲログが言いたいのは、相手がなぜその意見に至ったのかを確かめることです。結論だけを聞いて否定せず、まず話を聞く。相手は何を事実と捉え、何を優先し、どんな事情や制約の中で判断しているのか。その前提と筋道を理解する。これは、右か左かという立場にかかわらず、誰もが培うべき思考の姿勢だと思っています。

立場の違いを理解して争点を捉える

相手の説明を聞き、こちらの理解が合っているかを確かめれば、誤解や曲解を減らす手がかりが得られます。すると、事実の認識が違うのか、目標が違うのか、それとも手段の選び方が違うのかが見えてくる。どこで合意でき、何がなお対立しているのかも整理しやすくなるでしょう。そこで初めて、解決に向けて何を変える必要があるのかを検討できる。自分の立場を持ちながら、相手の主張の妥当な部分も認める。ゲヲログのいう本質的な議論とは、そういうものです。

本質的な議論には事前準備がいる

こうした検討を、短い言葉の応酬だけで十分に行うのは難しい。資料を読み込み、事実関係を確認し、論点を整理するための事前準備が必要です。ただし、資料や質問を用意すること自体が目的になってしまっては困ります。立派な資料があっても、相手を攻撃する材料として使うだけでは、問題の理解は深まらない。準備した情報を使って何を確かめ、その回答を受けて何を考え直すのか。そこまで含めて、議論を進める力なのです。

スキャンダル追及を是正と再発防止につなげる

例えば、政敵のスキャンダルを追及するのであれば、その行為はなぜ問題なのか、誰にどのような影響があるのか、どのような責任が問われるのかを明らかにする必要があります。そのうえで、どう是正し、同じ問題を繰り返さない仕組みをどう作るのかまで考える。「相手が悪いことをしています。だからダメです」で話を終えるなら、それで政治の仕事を果たした気になられては困るんですね。責任の所在を明らかにし、その検証を次の改善へつなげるところまで、ゲヲログは求めたいのです。

対決より解決に必要な考えを修正する力

「対決より解決」という言葉を、ゲヲログは、相手の考え方を理解しながら、現実に問題を改善できる着地点を探す姿勢として受け止めています。譲れない点を明らかにしつつ、歩み寄れる部分や、取り入れられる提案を見つける。そのためには、知識に加えて、新しい事実や妥当な指摘に応じて自分の考えを修正する柔軟さが必要です。知識が豊富であることと、判断を機敏に修正できることは、同じ能力ではありません。相手の欠点に気づく力と同時に、良いところを見つけて生かす力も必要なのです。

謙虚さを持って議論の全体を見る

そこで重要になるのが、謙虚さです。根拠があり、譲れない点は明確に主張する。一方で、まだ確かではないことは、その不確かさも含めて説明する。そうすれば、主張の強さに理由が生まれ、何を争っているのかも伝わりやすくなります。そして、ときには当事者としての立場から一歩離れ、議論全体を見渡すことも必要です。第三者にはどう見えるのか、自分たちは何を見落としているのか。他者の意見を聞き、自分の言動も点検する。この距離の取り方は、マジで重要だと思います。

肩書だけでは人の知性は測れない

大学教授のような高度な専門職に就いている人でも、肩書だけで、こうした姿勢が身についているとは判断できません。「自分は頭が良い。だから理解しない相手が悪い」と決めつければ、相手の説明から学ぶ機会を自分で閉ざしてしまう。知識を持っているからこそ、自分の見えていないものにも注意を向けるべきでしょう。人には、専門知識、現場の経験、状況を読み取る力など、それぞれ異なる強みがあります。それを理解しようとする姿勢に、ゲヲログは多様性の意味を感じています。

多様な視点を国政に届ける

ゲヲログが望む多様な社会は、異なる背景や経験を持つ人が、互いの認識の違いを確かめながら、共に物事を考えられる社会です。国政に代表を送ることにも、その違いを議論へ持ち込み、政策に反映させる意味があるはずです。自分たちの支持者の意見を伝えながら、別の立場の人が抱える事情にも耳を傾ける。そうした代表が増えれば、社会全体を見渡した判断に近づけるでしょう。反対に、各陣営が自分たちの正しさを言い張るだけなら、いつまでたっても議論は前進しません。

他人に求める基準を自分にも当てる

バランスよく考えるのであれば、人の非を追及しながら、自分たちの同じ問題だけを例外扱いすることはできないはずです。例えば、相手の政治資金の不透明さを「裏金の問題」として厳しく批判するのであれば、自分たちの資金管理や説明にも、同じ基準を当てなければならない。もし自分たちの問題には説明を尽くさず、都合のよい理屈で正当化するのであれば、その姿勢は問われるべきです。「与党の襟を正すのが仕事だ」と言う以上、自らの襟を正す責任も引き受ける。それが、公正さというものだと思います。

批判する側にも自分を正す責任がある

他人の不備を指摘する以上、自分たちの不備にも同じ厳しさで向き合う必要があります。誤りがあれば認め、説明し、改める。相手に変化を求めるなら、自分たちも変わる用意を示すべきでしょう。「相手には厳しく、自分たちだけは例外」。その態度のままでは、どれだけ立派な言葉を並べても説得力はありません。ゲヲログが野党に求めたいのは、他人を正すことと、自分を正すことを、同じ重さで引き受ける姿勢です。