来学期から、この授業はありません──。いま米国では一流の大学教授が、次々と大学から去っている。人材と知識が民間企業に集中するとき、科学の未来はどうなるのか。https://t.co/0j0VN8l2FX
— クーリエ・ジャポン (@CourrierJapon) July 31, 2026
Do all doctoral degree holders have to become university professors?
I don’t think so. It is also great and respectable to be a technical developer with a PhD.
This is not a simple matter. Cuz we cannot divide research into just two categories: basic and applied.
クーリエ・ジャポンの記事をリンク先にとって、「局所的な議論」を行いたいという企画。記事タイトルは「来学期から授業はありません」 一流の“大学教授”が大量に消えている | 科学研究の「中心地」が移動というもので、記事自体も面白いことながら、関連するXポストページについているリポストがなんとなかったんで、ゲヲログはこれに便乗、(誰かの代わりにw)解説記事を書いてみようと思い立った次第だ。例のごとく変人である( ー`дー´)キリッ。
記事は大学教授が教授ポストからより待遇の良い民間企業に移動するっていうフロウを解説してる。この事象に関して言えば、いろんなことがいえるよね。大学教授つっても肩書ばかりでそれほど金はもらえない。あって1500万円の年収ぐらいだろうな。ぶっちゃけて言うが、これって少ないよ。対して、優秀な大学教授レベルの民間勤めだったら3000万円ぐらいもらってもおかしくない。だって役員ポストがそれぐらいだもん。教授のほうが出てく金も多いはずだし。
しかも、教授ポストは授業時間でかなり拘束される。研究者と共に教育者としての面があるから、仕方がないんだけど、そもそもこれって良いことなのか?っていうと当然この問題は人に依る。つまり、研究者に全振りしてみると、教育者としての立場は無論要らなくなる。授業とか論文指導の時間いらねえっていう人もいるだろうから、そういうかたはアカデミアに残る必要がない。面白い構造よね。
あと民間に全振りする場合、論文の生産性も少なくなる。当然、特許とか利益性を鑑みた研究開発に重きを置くようになるから、研究分野は短期的に社に利益をもたらすものになるだろうね。まぁ、基礎研究がおろそかになるっていう名目はあると思う(もっとも基礎研究と応用研究で分割できるほど、研究分野が大雑把になっているわけがないけど)。長期的に見て人材が育たず、研究内容を特許で世の中に還元する可能性が格段に高まるんだな。なうるほど、面白い!っていうわけ。
知識生産っていうよりかは利益技術生産に代わるわけだ。これを利ととるか不利ととるかはかなり微妙なラインだ。だが、”利益”を重視するならばこっちのほうが都合が良い。シンプルな意思決定の下で戦えるからね。昔からこういう伝手の話題ってあって、千葉大から飛び級した方が民間に勤めているっていうのがある。念のため、言っておくが、これ、バスの運転手やってる方のことじゃなくて、トヨタ系の研究機関に勤めている方についてのほうがメインね。
でも、そのいずれの方も、民間に振ったわけなんだけど、これが失敗として取られるのは明らかにオカシイ。研究機関の中でも専門分野に特化した方がいて良いし、むしろ時代が一周廻って、民間の効率性に回帰してきたっていう意味合いがあると、ゲヲログ思うからなんだよね。だから、バスの運転手をやっているかたもトヨタで研究開発に努めるかたも同時に尊重・尊敬すべき対象なんだ。やっぱり凄いことなんだよ、博士って。
あと前段と重なるけど、研究開発に全振りしてもいい先生って現にいると思う。例えば、UCの中村教授はそうだよね。論文の成果は数以外あまりなくても、(つっても執筆速度はめっちゃくちゃ高速なんだけどwww)基礎研究と応用研究の間でしっかりと社会的な生産をしてる。しかも民間企業を作って、研究内容を社会に還元しようとしている。これを「基礎研究から遠ざかっている!基礎研究から逃げている!」っていう風にゴシップとして捉えるのは、ゲヲログも頂けない。とっても、微妙なところなんだよな。
そんな簡単な問題じゃないし。現に哲学者まで民間企業にオファーされているっていう点がそれを物語ってる。
