単なる風俗サイトFacemashを発端とするFacebookと自己露呈性及び情報的輪廻のカルマ


Innovative actions often start from unconventional ones. Facemash—the origin of Facebook—was simply the worst kind of pragmatic site. We must never forget its nature of self-disclosure and karma.


FBやってると気付くことありますよね。それがいつの間にか自分の情報が拡散されて露見しているという状態のことです。知らず知らずのうちに人物像が情報技術によって顕在化していくわけです。このプロセスを自己露呈性=セルフディスクロージャーとここでは定義します。望むか望まないかに限らずこの自己露呈性は特定技術としてはとてつもなく強い。知らず知らずのうちに親族の情報までメアドにオートで送られてくる。恐ろしいことですがFBの持つ技術の汎用性だと私は思います。

この自己露呈性が強みを増しているのはなぜか?それは情報の相乗りがあるから。我々がFBをツールとしてMUSTのものと捉えているからです~たとえそれが仮性のものとしても~。MUSTなツールになっているので誰もがなんだかんだ言って使っている。空気の哲学というかそういうデファクトスタンダードになっている。情報の繋がりもっと言うとSNSとしての対比においてしっかりと標準基準の路線になってしまっているのです。流行っている…これは事実ですので認めざるをえない。

またここで言う自己露呈性というものが非常に簡単なプロセスを通じて実装されているのも見逃せません。つまりFBが明らかにするのは特定の人物の名前・職業・役職・立場・学歴といった非常にわかりやすい文字・デジットあるいは社会的ブランドであることに注目してほしい。それが我々の自己露呈性の本質でありソイツが標榜するところでもあるわけ。自己露呈性とは簡単な文字情報によってできうる実体でありそれを表現するには逆に言えば単純な文字列で十分です。それが記号的だとしてもね。

単純な文字列で培われているのが自己露呈性ですからそれらが特定に至る・もっと言うと第三者によって特定に至るというのもまた簡素かつ合理的な論理です。どっかで検索しただけで広義のSNSとして役割が培われそっから自発的に情報は飛び立って発信されていく。それを電波として逐次半自動的に受信しているというのが実態でありソイツこそが妙に毒気ある表現かもしれません。だから特定率が極めて高く精密誘導の爆撃のごとく当たるに当たる。ここがFBが恐ろしいところなのです。

もっと言うとそれは性質変われば所謂デジタルタトゥーでもある。その終わりにあるのがまぎれもなく人間の死です。そこで情報は途絶え記録のプロセスは途絶える。もちろん死してもなお情報の部分・タトゥーの部分は残ってしまうので輪廻のカルマとでも言うべきでしょう。もっと正確には情報的輪廻のカルマとでも言うべきでしょうか。ここが残酷なほど興味深い哲学的存在でもある。逆を突いてかつ語弊承知で言えばFacebookとは2chの公開版でもあるわけ。

匿名を許さないバージョンの2chという表現は当初のFacebookのオリジンを追っていけばごく自然とわかるはずです。発端は出会い系サイトの亜種Facemashだった。これを忘れちゃならない。それを憎むか憎まずかは関係なくFacebookが元々Facemashという単なる風俗サイトであったという事実です。この事実がFacebookの中にあるFacebook性でありFacemashであるわけです。公開版2chというのはまた再び毒気ではありますが適切な呼称ではないか?

その意においてザッカーバーグがやってのけたのは実は許されざる単なる犯罪的行為であり大学当局が問題視して彼を罰したのも正しいです。だが往々にしてこうしたイノベーティブな行動はそうした非常識的な行動からスタートすることが幸か不幸か多い。確かに異端が常識に属性転化する中でイノベーションは生まれがちです。そのスタートアップの中でもごくごく悪い性質の単なるアメリカ版2chがFacebookであるという評価はかねがねその悪質性を表現するにおいて的を得ていると私は思います。