「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」はジュブナイルものの王道アニメではない

「機動戦士ガンダム 水星の魔女」を超えたアニメ

もちろんこの流れは前段である「機動戦士ガンダム 水星の魔女」でも度々見て取れた。例えば同作は百合要素があったし残酷な描画もあった。経営要素もあったし様々な概念をごった煮にしてうまく具現化させたストーリーが魅力だった。これは記憶に新しい。だが「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」はそれに及ばないどころかむしろ超越してしまっている。物語自体に様々なコンポーネントを組み込んでいて話が行ったり来たりするので相当論が回らないと全体像をうまく把握できないぐらいなのだ。「機動戦士ガンダム 水星の魔女」でさえ相当複雑だったのに「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」はさらに複雑的な魅力にあふれている。

どっちかっつとSFであるほかに軍記ものにも近い

それが戦記物としての「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」の魅力でもある。例えばシャアが配下とガンダムと木馬を拿捕するシーン(サイド7事件)がリアルに描かれていたり連邦によるソロモン落としが様々な思惑が交錯する中で意外な形(ゼクノヴァ発生による連邦軍によるソロモン陥落作戦の失敗)で終結するシーンがあったりとどっちかっつと軍記絵巻ものとしての側面が強いのだ。それをマチュやニャアンによるYAものや若者成長期☆というジャンルだけだと割り切っているとこれから展開される「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」のポテンシャルに気付けずに視聴が終わる可能性があるのだ。だからこそミックさんにはもっと「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」の本質的なコアな部分に特に力を入れて眼力を発揮してもらいたいと勝手に思うところである。

「エヴァ」で知られるカラーが絡んだ制作体制にも魅力の理由がある

付随して観察しておきたいところがあるとすれば当然制作体制。この制作体制ももちろん複雑極まっている。「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」は「新世紀エヴァンゲリオン」を代表作とするカラーとサンライズ系のスタジオが手を取っていて面白味を追及しているのは当然観る側としても求められる知識だろう。そういう意味で現実の制作体制としても空想の制作体制としても「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」というアニメーションは様々なメメントを盛り込んでおり複合的な魅力を持っているのだ。

かといってガンダムの世界を再構築したぶっ壊れ系のアニメでもなし

一方で私は異端なタイトルだとも到底思えない。ガンダムの既成概念をぶっ壊しているか?というとギリぶっ壊してないし(そうでなければキケロガとかいう地味なMAがあれほどカッコよく活躍しない&あるいはシャリア・ブルが相当重要なキャラとして描かれている面も確かに奇抜ではあるがあり得ない話としては描かれていない)奇をてらっているだけでなくかつ「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」がガンダムの世界観を再構築したとまでは言えない点が多々ある。むしろパラレルワールド・あり得た話としては十二分に解釈が出来てそこにこそ「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」の正当なガンダムの魅力を感じる次第である。意味が解らんぐらい交絡してはいるが破綻してないしむしろ本筋のストーリーにはリアリティがイメージナルな側面と共存していてそれらが半々あるぐらい。

やっぱり「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」は単なるジュブナイルもの・YAものには属さない!

実は「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」は破綻と反破綻のバランス取りにうまく成功していてそこにこそ「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」だからこそできるガンダムの世界を新しく表現する術に長けていると私は思う。「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」はガンダム戦記物・そういうSF作品なのだ。こうした意味合いにおいてミックさんの意見は明らかに偏っていると思う。確かにマチュとマチュの母親の話に触発されるというのは思想を専攻するかたの意見としてはわからないでもない。そこが一番わかりやすい解釈だからだ。だが正直に言うとこの点だけで「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」を把握・評価しようとしている当たりガノタとは言えない。むしろガンダムという統合的作品への理解力の深みのなさを論者であるはずのミックさん自身が自分の力によって明らかにしてしまっていると私は思う。この点でミックさんの作ってしまった穴はデカいよ!と指摘しておく。

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