日本の警察が優しすぎる気がする。もっと海外みたいに厳しい対応しないと舐められっぱなしのままになっちゃう。 https://t.co/bOjFdlIZdN
— もりたけ (@moritakezou1005) September 4, 2025
日本の警察は検挙対象に甘いのか?
これ大変興味深いポストだと思う。確かに印象として「移民に甘い警察」っていうゴシップはあっていいと思う。でもちょっと待てよ。私たち立ち止まってもう一度考え直す時だとも思う。古きに今まさに学ぶべき時なのだ…と。もうちょっと深入りした論を作るために事例を出すね。昔暴力団の人が東京の住宅街で立てこもってSATに取り囲まれた事件があったじゃない?あれってSAT動員したうえで解決したんだけど狙撃銃まで持ち出して犯人とすれすれまで交渉したんだよね。撃つことは出来たんだよ。マジで。だって本格的な狙撃銃まで持ってきたんだから(しかも結果的にSAT側に殉職者まで出てしまった…)。簡単に遠距離から正確に打ち殺すこと出来たんだよ。でもそれをしなかった。なぜだと思う?
SATに学べる事
というのも犯人は追い詰められてSATの方を流れ弾で殺してしまった。もちろんこれは最悪な犯罪だ。だがそれを加味してもこれでもってして単純に「警察が犯人に甘い態度を取っていた」とはいいがたい側面がある。日本の治安機関はいざというときに撃つけどそうそう簡単に犯人を撃ち殺すことはできないんだ。一昔前までは「撃つこと自体ダメだ!」っていう感覚がJKな状態であったことさえある。「踊る大捜査線」っていうドラマ番組でかってそういうシーンがあったけど。「日本の警察は携銃しても絶対に撃ってはならないんだ!」って部下が𠮟責されるシーンあったよね。あれってマジでそういう時代があったんだよ。最近はさすがに変わりつつあるけど。
世論が相手では勝ち目がない
つまり何が言いたいか?日本の場合警察を初めとする治安機関はこういう是がやっぱ依然としてあるんだ。「犯人を安全に検挙して次回の事件の際にノウハウに役立てる」あるいは「TV中継されているシーンで積極的に重火器類を発砲はできない」という。こういう論って平和治安的な意味合いで依然として強いんだ。単純に発砲してスチロールみたいな頭になった犯人が中継されると世論相手には絶対勝てっこない(士郎正宗の漫画「アップルシード」でも主人公のデュナンがそう言うシーンがあるよね)。もちろんいざというときに撃つために狙撃銃を持ち出したのは間違いない。だがそれは最悪の状態の時に撃つだけなのだ。想定される最悪な状態なんだよ。
アメリカの場合と単純に比較するのはナンセンス
これがアメリカだったらもっと早く撃っただろうね。なぜかっていうとアメリカでは銃犯罪が多い。治安機関に挑戦するような凶悪犯も多い。だからカメラが回っていても撃つ。世論も味方に出来るからだ。だがここは日本であってアメリカではないんだ…残念ながら。日本は日本なりの治安維持の方法論があって警察や自衛隊ではそれを徹底的に学ぶ。平和路線なんだよ。これは悪しきととるか良ととるか?これだけでもバランス的にかなり微妙な問題なんだ。他にも例えば日本の警察は銃が規格統一されていてリボルバーだよね?これもしっかりとした意義がある。
日警がリボルバーを使い続ける理由
というのも強い火力を持つ銃を携帯するわけにはいかない。日本は銃社会ではないからね。犯人の銃に対抗して銃撃戦が起きるってのはかなり珍しい。安全保障の問題・平和治安維持の問題・銃に対する安全認識の問題・そもそもの火力の問題…こういった問題がやはりあるんだよ確かに。センシティブな問題になってしまうが相手を火力で圧倒して相手を撃ち殺すことが警察や自衛隊の最終目的じゃないんだよ。治安をこれからも永続的に維持するっていう大局的な課題が日警にはある。あるいは自衛隊にはあるんだ。だから相手をそうそう簡単に撃ち殺せない。これは日本という世界でも稀に見るほどとてつもなく治安がいい国だからこそできる当たり前のことなんだ。
日本の治安は世界一良い
この事例を見れば分かるが十分日本の警察や自衛隊はできることを全てやっていると思う。それは外国人や移民に対しても。この国は外国と違って銃の市民携帯が認められていない。当然安全に検挙することも求められる。そういう路線・方針なんだ。移民に厳しくしろ・ぶっちゃけこいつら射殺しろっていう論理もわからないわけではない。それだけ厳しくしろ!そういう意見がわからないわけじゃないんだ。でも検挙して安全に解決して穏便に済ませる。決して世論を敵に回さずうまく丸く治める…これが日本の治安維持の方針の極めて良いところなのだ(依然として)。
変わるべきところは変えている
それでも対応できないからSATやSITという特殊部隊がしっかりできた。対テロ戦闘において自衛隊のような機動性のない機敏性のない維持組織に頼り切っては厳しい国際情勢が見て取れない。だからこそSATやSITはしっかりあってそれも隠密組織としてあまり情報公開されていない(特にSITのほうは)。繰り返すがこれは日本だからこそできるソフトパワーとハードパワーの治安環境における一定の基準なのだ。だからこそ治安維持の大局的な方針がちょっとづつ変わってきているともいえる。だが世論相手に狙撃銃使うわけにはいかない。スポンジみたいになった犯人の頭をTVカメラで中継させるわけにはいかないんだ。だからこそ言えるが日本の警察は間違いなくよくやっている。本当に世界でも一二を争うぐらい治安維持の点で優秀なのだ。
耐えなければならない安全の神話
この事例を見てみてくれればわかるだろうが当然警察が簡単に犯人を射殺したり検挙しまくったりすることができるわけじゃない。相手になめられて馬鹿にされてもある程度耐えなければならないんだ。それが日本を治安維持大国にしてきた警察の方針なんだよ。緊迫する情勢に相対してしっかりと変わるべきところは変えているのだ。だからこそSATやSITがしっかりと形成されて厳しい訓練を彼ら彼女らに課して頑張っている。我々一般市民に対して治安維持のため日々頑張ってくれているのだ。繰り返すが日本の治安維持組織は犯人に対してなんでもやっていいわけじゃないんだ。アメリカのようにパワーで相手をねじ伏せることは国家の基準として確かに違う点があるんだよ。
振り返るべきは政治哲学者の言:ハンナ・アーレント
誇張して言えば今世界的に専制路線が復活してるからこそ私たちはハンナの名言に習わなけりゃならない。アーレントは生前「本当の悪はごく平凡な人が働く悪だ」と言った。発展的に考えてみよう。そうした悪が汎用的に増大すると当然のごとく恐らく既存の平和的組織が世論の反発や反抗にハマる可能性も高まるしまたその真逆の路線を辿ってしまう可能性も高くなる。つまり【極化主義】に陥ってしまう可能性が高くなるのだ。こういった政治哲学的な意味合いとしてこの問題を大局的に捉えることも重々できるはずだ。だからこそそのミクロな世界である治安の問題を警察=馬鹿で無能として捉えるのは絶対に間違っているのだ。何と言ってもそれは単純な世論操作・印象操作の旗下の悪い影響下に陥っているに過ぎないのだから。移民に対する治安対応も当然同じ論理の元の含蓄があるのだ。
“Under conditions of tyranny it is far easier to act than to think.”
Hannah Arendt