ゲーム開発参考帳:「STGジャンルは分かりやすいため最初期のゲームでもプレイがしやすい」という論


Most STG systems are easy to understand because the barrier to understanding them is not very high.
They are not difficult systems. Rather, they are simple and easy to understand.
This characteristic of STG systems has developed from old games to modern games.


STGの【基本構造】

STGってさ、登場初期からけっこうゲームが完成されてたと思うのよ。過去の傑作とされる古典的なSTGから現代のSTGに至るまで、基本構造がほぼ同じなんだよね。つまり、自機を動かす→敵を撃つ→敵弾を避ける→パワーアップする→スクロールする→ステージを進む→ボスを倒す…これが変わらない【基本構造】なわけだ。もちろんさ、現代のSTGとは【応用構造】の面では違うところが多々ある。確かにSTGも進化してきた面は否定できない。

STGの【応用構造】

例えばそれが、弾幕・溜め撃ち・ボム・コンボ・アイテム回収・特殊武器…と言った新要素だ。いわばこう言った「遊びの文法」はどんどん増えていった。だけど、「根っこの文法」=【基本構造】そのものはものすごく早い段階で固まっているんと思うんだよね。「昔のゲームだから、当時の事情を知らないと何をしていいのかわからない」というのがレトロゲーを今プレイする際のハードルでもあるけど、STGジャンルの場合そうならないことが多い。これはSTGの良いところだと思う。

【英語の壁】が低い

やれることやることが決定事項として、事前に配備されているから、「迷い」が出てこないし【英語の壁】=ローカリゼーションの有無と言う点もネガティブな要素になりにくい。もちろん最近はナラティブなSTG・ストーリ重視のSTGもあるから、それは絶対だとは言えない。むしろ、ゲームとは消費体験のエンタメだから、ストーリを重視しないSTGはあんまり良くないとゲヲログは思うんだ。人はゲームという「物語」を消費するのであり、ゲームと言う「もの」自体を消費するのではないからだ。

【自然理解】の問題

これは【自然理解】の問題だと思う。慣れれば何でも良し、そして慣れれば言語の壁にあまり(それほどは)左右されない。ハードルが低いっていうのかねぇ。もちろんハードルが高いSTGも多々ある。例えば、高いシステム性を持つインディーの傑作「Hellsinker.」だとかがその代表例だろう。でもね、このヘルシンでさえ、それっほどは理解に時間を要するわけじゃないんだよね。この意味において、STGはとても分かりやすいのだ。

無理やりパラドゲーと比較すると…

例えば、戦略シミュの代表格:パラドゲーはこんなに理解のための難易度が低くはない。ゲームっていうよりかは、シミュレーション系に属する本格な脳内シミュレーターゲーだからだよね。複雑怪奇なシステム性があって、そこに理解を示せない層がパラドゲーに対しては多すぎるし、要素要素が大きすぎてスケイルが巨大。それに対して、STGは小さめのスケイルで描かれていて、物語が極小に収まって”いきつつある”のだ。だから、無理やり…ではあるけど、パラドゲーとSTGは比較も(このように)できるのだ。

ゲムのプレイ主体性の問題

STGにおいては、今、プレイヤー=自分が、どうやってゲームをプレイすれば良いのかが分かりやすい傾向にある。つまり、プレイの主体性が決まっていて固定的な価値観の下に立脚しているのだ。これに対して、他のゲームやパラドゲーは当然他者との関係性の中で、相対的に決まる枠組みがデカい。だからこれは、【主体vs反主体】の対立軸と言うこともできるだろう。STGは、自分のプレイ主体がゲム基盤であるからこそ、自分のプレイ自体が物語の一部になりやすいのだ。

「物語」の単純性

そしてそれは、ゲム配信時代において、それは当然の帰結でもある。なぜかというと、ゲーム配信というものは主体を巡る複雑な商品構成を持つから。例えば、プレイヤー=配信者という構成システムのほかに観客=リスナーがいるだろ?こういう【構成構造】を持っている時代で、さらにSNSという拡散的なエコシステムがある時代だから、なおのこと「物語」の俯瞰構成が複雑になりがちなんだよね。そう言うこともあって、現代のゲーム技術界隈・ゲーム開発環境界隈は複雑系に対する反逆反抗心をもっていいはずなのだ。

だからこそ、ゲームの単純性…というかゲームシステムへの理解難易度の問題はより重要になっているといえる。