A Concept Like No Other: “DEADSHIP” Has a Power of Its Own.
そのXプラットフォーム上のプロフで、自らの開発スタンスを幅広く取り、「pixel artist / indie game dev / SCI-Fi horror / Text-based RPG, DEADSHIP in development!」と紹介文を銘打っている、韓国発インディーゲームデヴェ:KALA GAMES(칼라게임즈)。久々に彼らの作るゲームを見て、ゲームでもってして感動した…というか、フツーにこのゲーム凄い…と思わされた…そのゲームのタイトル名:「DEADSHIP」という。このゲームは、単なるありがちなドット絵RPGではないッ!映像的な演出とゲームとしての意思決定が一体化している、極めてユニークなゲーム体験なのだッ!
てかこれさ、普通にゲームの動画見させりゃ、玄人のゲーマならば誰でも分かることやんか。スゲエよ、これはマジで。これこそゲームの持つオリジナリティだよな。2027年発売予定で、今現時点で鋭意制作中らしいんだが…確かにいろんなゲームのインスピレーションはあるっちゃああるよ。例えば、「Darkest Dungeon」っぽい戦闘デザイン。でも、ある種のアニメーション、って言ったらいいのか?いや、もっと正確に言えば、シネマティックな映像演出とインタラクティブなゲームデザインの融合、と言ったほうがいいのかもしれない。ピクセルアートによる古典的な表現手法を採りながら、そこに独特の動きと緊張感を持ち込んでいる。これが実に見事。
そして、何より面白いのが、そのストーリーの仕組み。設定神の真骨頂だよな。
本作の舞台となるのは、恒星間貨物船「M.U.L.E.」。プレイヤーはこの巨大宇宙船の二等航海士として、長いコールドスリープから目覚める。だが、そこで目にするのは、既に壊滅状態に陥った船内の惨状だ。約3,000人に及ぶ乗組員の大半が死亡、あるいは正体不明の感染に侵され、船長は行方不明。まともな指揮系統さえ残されていない。そんな中、プレイヤーは残存する生存者を率いて、地球への帰還を目指すことになる。しかも、残された時間はわずか。物資は不足、危険は増大し続ける。誰を探索に向かわせるのか?誰を救助するのか?誰を見捨てる?こうした判断が、ゲーム世界そのものに不可逆的な変化を及ぼしていく。
例えば、危険な区画に取り残された仲間を救助するか、それとも限られた人員と資源を守るために見捨てるか。その決断が後の展開を左右する。しかも恐ろしいことに、救助できなかった乗組員が、後になって異形の怪物となって現れる可能性すらあるのだという。これ、単純に凄い設定だよな。【自分が下した判断が、自分自身に牙を剥いてくる】のだから。つまり、敵を倒すことだけがゲームの目的ではないんだよね。敵になってしまった存在が、かつて自分の仲間だったかもしれない、という物語的な意味つのかな。プレイヤーが生き残るために行使した選択が、後になってプレイヤー自身の倫理観を問い直してくる。本作独自のナラティブ構造だよな。
そして、このストーリー構造が戦闘システムとも密接に結びついている。
本作では、異形の怪物たちに対して部位破壊を伴うターン制戦闘を行う(たぶんここらは、ベセスダゲーの傑作「Fallout」シリーズに影響を受けているシステムだろうな)。触手を切断し、眼球を破壊し、相手の攻撃能力を奪っていく。ここにあるのは、単なるグロテスクな視覚演出ではない。ゲームシステムそのものを通じて、恐怖や後悔をプレイヤーに体験させようとする試みなのである。【かつての味方は今日の敵】。ゲヲログもitch.io版をさわって、しょっぱなから分かったもんな。こりゃ神ゲーだわ。異形の表現・部位欠損を戦術に組み込んだ戦闘デザイン・シネマティックな演出…実にナラティブな体験。
【ものを語って、原理を作る、エンタメ行く先、夢の国】。高度に他のゲームで得たインスピレーションが統合化されてんだよな。ここにあるのは、エマージェント・ナラティブ(創発的物語)そのもの、である。物語を単に読むのでも、見るのでもない。自ら判断し、取り返しのつかない結果を引き受ける。その体験そのものが物語になる。こういう設計にこそ、映画や小説とは異なる、ゲームというメディア固有の可能性があると思う。ピクセルアート・アニメーションによる視覚表現、シネマティックな演出、選択と結果を中心に据えたインタラクティブ・ストーリーテリング。
どれをとっても、その目指す方向性は非常に魅力的。韓国はやっぱ一流のコンテンツ国家だわ。
本作は20人以上の生存者に、それぞれの人間関係や動機、個別のストーリーを持たせる設計だという。だからこそ、誰が生き残るかという問題は、単なる戦力の増減にはならない。個々の人間が抱える思惑と、プレイヤーが優先する生存戦略が衝突する。救うことが正解とも限らず、見捨てることが合理的であっても、それが倫理的に正しいとは限らない。従来のゲームにおけるストーリーは、あらかじめ用意された出来事をプレイヤーが順番に追っていく形になりがちだった。しかし、「DEADSHIP」が目指しているのは、プレイヤーの意思決定と、その結果の積み重ねによって、異なる物語が立ち上がるという構造、それ自体である。
本作の一番の影響のあるゲームが、Miro Haverinenによる「Fear & Hunger」シリーズだという。思うに、「Fear & Hunger」が優れていたのは、単に難易度が高いことでも、残酷な世界観を描いたことでもなかった。プレイヤーが自ら下した選択を、容赦なくゲーム世界の現実として突き返してくることだったと思う。理不尽さ、恐怖、犠牲、そして生存。それらを、単なるシナリオではなくゲームプレイとして成立させていた。「DEADSHIP」には、その思想との共通点が見て取れる。もちろん、両者の世界観やゲームデザインは相違がある。
しかし、人間の意思決定をゲーム体験の中心に据え、残酷な結果をも含めて物語を成立させるという点において、確かな精神的連続性を、ゲヲログはビリビリと感じるんだよな。Miro Haverinenが切り開いたゲーム表現の、その先にあるもの。今、ゲヲログは猛烈にそんな可能性を、このゲーム「DEADSHIP」に感じているのだ。ゲームとは、単に操作して楽しむものなのか?それとも、自分自身の判断によって物語を生み出し、その帰結を受け止めるためのメディアなのか?その疑念を提起し、我々ゲーマが下す結果によって、再帰的に定義もするのだ。
まだ完成前の作品である以上、その構想のすべてが実現するかは分からない。それでも、少なくとも現時点で示されているゲームデザインには、非常に大きな可能性がある。久々にゲームを見て、純粋に感動した。
これこそが、ゲームというメディアにしかできないエンターテインメントなのである。
