じゃあ
— realforce (@realforce181) August 10, 2025
「1歳で児童養護施設に…「じぃじ! ばぁば!」と泣いていた男の子」
には救いがなくて良いの??
同じ境遇の男子だったら女子枠は当然受けられないわけで…
— ナインチェ・プラウス (@miffy_kawaiiyo) August 10, 2025
性別だけで弱者判定する女子枠はやはり異常
誤解が多いようなので言っておくが私は「女子枠があってもいい」と言ったのではない。文字通りとらえればそうなる&言葉足らずで申し訳なかったが私は「女子枠(のようなもの)があってもいい」と言ったのだ。慶応大学の國武さんも言うように「逆境指数」に基づいて社会的不合理性があるのであれば様々な要因を客観的に考慮し差別に対する加点という方式を取れというニュアンスで前言を述べたのだ。國武さんは事実現代ビジネスで言う。
女性が理系に進学することにつき一定の困難が存在する。それは理解できます。しかし高等教育機関の定員というのは貴重な資源であり有限です。貧困層や地方出身者加えて近年の研究で注目されている両親が非大卒の方家族を介護されている方も居るでしょう。そうしたより深刻な困難を抱える受験生の枠を削り更なる困難に追い込む女子枠はその困難や多様性の重み付けとして異常なのです。多様な困難や多様性を加点幅として評価することは可能であり欧米先進国でも先行事例のある逆境指数に早急に移行するべきと言えます。貧困層や地方出身者に対する逆境指数加点を10点とするならば単に女性であることそれ自体は0~3点の加点に留まるべきでしょう。
「女子枠」は効果すら怪しい…私が「女子枠」に反対し続ける理由(週刊現代,國武 悠人) – 4ページ目 | 現代ビジネス | 講談社より引用(太字は筆者による)
「もし仮に女性差別のようなものがあるとすれば(また逆に男性差別のようなものがあるとすれば)性別による加点が少ないながらもあっていいのではないか?」と私は言ったのである。決して「積極的に女子枠を認めるべきだ」と言ったわけではないしましてや個別の事案に関して「明確に女子枠に該当する」と言っているのではない。繰り返すが「女子枠だけが問題なのではない」のである。あらゆる逆境に関する差別(社会的不合理性に基づく区別)があるとすればそれはその差別に関して和らげる方向の加点が合っていいと言ったのである。これを誤解しないでほしい。
だからこそ女性という性別に関するもの自体加点は厳格化し運用することを私は提案している。潜在的な能力が高く総合的に鑑みてその女性を取る方が大学ひいては社会国家全体にとって明らかなメリットがあるという客観的事由が社会広範に認められるべき事案があるのであればその女性に関して限定的だがある種積極的な加点があっていいのではないだろうか?と。あるいは女性であるがゆえの視点で学問全体に利益をもたらすことが明白であればその女性を性別事由として一般的なルール決めに基づいた加点があっていいのではないか?と。
例えば技能五輪で明確な優秀成績を国にもたらしただとか工学的な特許を何個も取得しているだとかであれば工学部で積極的に非認知能力的な概念をその女性に認めていくべきではないのだろうか?あるいは理学部系でも科学五輪で優秀な成績を残したり数検1級を若くして取っただとかであればその女性の入学を特異点として認めていいのではないか?私はこういった特異点を中心に女子枠を解釈しているのであって女子枠の汎用化自体を認めているのではないのである。この点を誤解しないでほしいわけ。
かってヨーロッパにロザリンド・フランクリンというめっちゃくちゃ優秀な女性がいた(この話はアカデミックに有名なものなので理系の学部生ならば誰でも知っていることだろうが念のため事例として挙げておく)。彼女はX線の共鳴写真によるDNA構造(デオキシリボ核酸の二重らせん構造)の把握を誰よりも先にしていたので当然フランクリンがノーベル賞の候補だった。端折って言うが彼女の業績をワトソンとクリックが盗んだのである(だからワトソンとクリックはノーベル賞の受賞者として歴史に名を残しフランクリンの名は世間一般では知られていない)。このニュアンスをゲヲログとしては読者に積極的にわかってほしいのである。
女性であるがゆえにそれがためだけに加点しろとか優遇しろとゲヲログは主張していない。女性だからこその視点で何らかの利的解釈が出来るのが明白でかつ女性であるがゆえに差別を受け本来発揮すべき能力や評価が得られないことが社会一般的に明確であることは考慮しなければならないのは明白だ。当然他の差別概念もままあるのであればそれはもっと考慮して加点に配慮すべきである。國武さんが言うように女性への加点・女性だからこその加点は厳格運用し他の概念よりも弱いファクターとして・だが無視はできない事由として解釈すべきであるということをゲヲログは述べているのであって何が何でも汎用的に女子枠を認めるべきだと言っているのではないのだ。
だからこそ私は仮に女子枠を運用するのならばもっと厳格化して運用するべきだと常々言っている。既存の女子枠は女性汎用化に考慮しているだけなので私も反対なのだ。もちろん他のファクター=逆境を指数化して様々な差別に関して考慮しなければならない。そのプロセスの中で女性差別もある程度は考慮すべきである。既存の女子枠に問題があると思っているのは私も同じだ。だからこそ私はかねがね大学入試の女子枠はもっと厳格化して運用すべきだと主張してきた。「女子枠は徹底的に厳格化して運用しろ」これがゲヲログの結論である。もちろん出生率の低下や女性の社会進出の問題も(その賛否含め)洗いざらい多角的に解析し判断した結果であるべきことも付記しておく(たぶんこれはこれからの社会的課題でもある)。