これは・・・ほぼほぼゲーム版のBLAME!だ! https://t.co/DDiBbtk8BU
— Nidy-2D- (@beyond_the_2D) June 30, 2026
In this article, I summarize the similarities between “Supreme Experiment” and “BLAME!.”
ゲーム「Supreme Experiment」が「BLAME!」と似ている件について解説
ゲーム「Supreme Experiment」が「BLAME!」と似ている件について解説する。ていうか、ぶっちゃけこれゲーム版「BLAME!」である、といって差し支えないと思う。「Supreme Experiment」側の既に公開されているトレーラーやビジュアルイメージを見た瞬間、多くのSFファンが漫画「BLAME!」を思い浮かべたことと思う。これは実質ゲーム版「BLAME!」に違いない、と考えたのも無理はない。「BLAME!」は映像化不可能と言われて久しい傑作SF漫画だから、ゲーム版「BLAME!」に期待するっていう声もわかる点だ。
人類の衰退と孤立的逃亡
ゲームの舞台となるのは、人類が機械たちを見捨てて、巨塔構造体「スパイア・シティ」へ退避してから100年が過ぎた世界。この点「BLAME!」と大いに似ている。というのも、弐瓶勉筆「BLAME!」も人類と機械の二項対立を描いていて、人類が辺境の地へ退避してしまったワールドを描いてる。また、物資の欠乏という点もかなり似ている。思えば、漫画「BLAME!」も物資に困窮し、衰退の一途をたどる人類を描いていた。同ゲームでもまた、物資不足に悩まされている人類を描いている。
物資の困窮に悩まされるはネズミ的人類
世界では物資に困窮し、まるでネズミのように生きるしかない人間たちの不遇を描いている。かって栄華を極めた、技術的人類の繁栄はそこにはない。どちらの作品でも、人間はもはや「世界の覇者」ではないのだ。代わりに、どちらとも人類を、巨大な機械の隙間で息を潜めて生きる「ネズミ」のような雑多な存在として描いている。その人間観の中で、サバイバル要素や物資の希少価値が物語に圧倒的な緊張感を与えている点が共通項として描かれるわけだ。
物語の逆転的残酷性
漫画「BLAME!」では、人類は都市のシステム(統治局)から排除され、ネット端末遺伝子(霧亥の求める唯一のもの)を失ったことで、駆除系(セーフガード)に追われながら各階層に散り散りになって隠れ住んでいる。このセーフガードは、人類の求める物資補給の線を絶つように行動してて、人間たちはそれらに残酷・冷酷にも追われる立場にある。人類はかって自ら構築した機械システムを制御できなくなり、資源も施設も衰退の一途をたどるばかりなのだ。これが物語の逆転的残酷性だ。
完全一致のディストピア感
つまり、両作は「システムが自動で動き続けているが、誰もその仕組みを理解していない」 というディストピア感の点において”完全一致”しているのである。また、機械的構造体の増築・インフレーションという点でも、ゲームと漫画は酷似している。これが機械建造体が構造物を無限に造り続ける..と言う点だ。「Supreme Experiment」も「BLAME!」もめっちゃ似ている点=圧倒的構造的ビジュアルという部分。
主人公という目線
主人公のベクトルも似ている。「BLAME!」における霧亥は、失われたネット端末遺伝子を求めて、メガストラクチャーを上階層へと上がっていく。他方、「Supreme Experiment」のプレイヤーも資源と真実を求め、安全な塔の頂上から、未知の機械が跋扈する下階層(奈落)へと下っていくのだ。ベクトルは逆になっているものの、構造体をくまなく探し無限のループの中で目的を達成しようとする、という点では似ているわけだ。孤独な探索者=主人公と言う点でも両者は酷似している。
