なぜエロゲーの音楽にはピアニスティックな曲が多いのか?
10年ぶりに「瑠璃の鳥」(「殻ノ少女」)や「さくら」(「さくらむすび」)といった楽曲を聞いてみてまた弾いてみて思ったことがある。【なぜエロゲーの音楽にはピアニスティックな曲が多いのか?】しっかりとした裏付けはあると思うのでそこを今回ゲヲログが解説しよう。あ…間違っても曲は聞いててもゲームそのものはやってませんから!てか価格がフツーに高すぎるので買ってるだけの財力なければ暇もないっていう(笑)。
感情表現とピアノ曲との親和性
まず感情表現にピアノ曲はかなり親和性が高いということが挙げられるだろう。「ピアノは楽器の王様」とはよく言ったものだが確かにそうだ。キャラクターの内面を浮き彫りにする必要があるゲームジャンルがエロゲーでありそれ以外は「存在しない」のである。悲壮感とか高揚感のほかに切ない気持ち・希望のある心持・孤独まで表現の広げ方においてピアノにしかできないレンジがあるというのはクラシック曲でも同じ。簡単にそれらが表現できる。ここがまず第一の理由だろう。
エロゲー黎明期にあった技術的な制約
第二に技術的な制約もある。エロゲーの歴史はかなり深い。多分1990年代までさかのぼれるのではないか?その技術環境下でMIDIという音楽ファイルフォーマットが主流だった時代がある。つまり今でこそAIやボカロといった技術がシナジーを作っていてそれらが既存音楽に対して挑戦状を突き付けているのに対し当時はそれほど技術が進歩してなかった。古典的な方法を取らざるを得なかったのである。またそうした技術の範疇・容量の制約下で最適だったのが単一の音を司るピアノという方法だったわけだ。これが第二の理由だろう。
ADVゲームとしての体験型小説的構造
第三にADVゲームとしての体験構造にも理由を挙げられそうだ。テキスト主体なのでピアノがストーリーに対して邪魔をしないのである。読み物は静かな雰囲気を保つ必要がある。エロゲーもほかならぬ読み物であるべきなので静かな環境で音響が響き渡る必要性が必然的にあるのである。ピアノは単一の音で様々な読み物を表現するに相応しいのでピアノの曲がエロゲーを席巻している現状を昔から作り出してきたわけなのだ。
美的感覚の大局的なありかた
またこのエロゲーの体験構造というものはゲームを巡る美学の問題でもあるだろう。ロマンチズムや知的イメージを付与するためのコンテンツそれ自身がエロゲーであるということにこれは起因している。この要因は美的感覚にゲーム表現の面で優れていて表現の派生がテキストを邪魔しない美的綱渡り状態にあるだろうという論のことだ。つまりエロゲーは教養主義的な側面を否定できないし肯定せざるを得ない。いわば語弊を承知で言えばエロゲー音楽は貴族的な音楽なのである。クラシックの曲調が元来美的表現にあっていてロマン主義のゴシック的路線に相応しいのだ。
まとめと結論
そういったわけでエロゲーには作曲家のルーツを辿ってみてもピアノ・クラシック追加要素あってストリングスの響き渡るシンプルながら奥深き曲調があるのだ。【なぜエロゲーの音楽にはピアニスティックな曲が多いのか?】という疑問を解決するに当たり四つの理由をゲヲログは示せた。一つ目が感情表現との親和性・二つ目が技術的な制約・三つ目がADVゲームとしての体験型小説的構造・四つ目に美的感覚の大局的なありかた…この四つだ。恐らくここに矛盾は(これまでも今後も)あまりないだろう。定説…そういっても過言ではないと思う。