ゲーム「Curse Rounds」に見るゲームグラフィックスの重要性

私はゲーム「Curse Rounds」を私の日課としているSteamクローリングの最中見つけてショックを受けた。ゲームの内容だってゲームの説明でさえ見た感じ相当単純なのだ。それでも驚いたのはそのゲームを彩るグラフィックスに目を魅せられる要素が多いと思ったからだ。だからこそ私はこのゲームは画期的なものになるポテンシャルを感じた。さすがに発売直前のインディーゲームということでセールスの成否までは予測不能だが白黒の漫画原画のようなグラフィックスがこのゲーム最大の特徴であることは間違いないだろう。

リリースを間近に控えている「Curse Rounds」は典型的なワンルームクリアリングのローグライクアクションゲームである。そして先に書いたようにその説明書きも極めて簡潔だ。60+のラインナップを誇る呪いカードを受けながらピストルフラッシュを駆使して画面上の全ての敵を倒す。そして巨大なボスを倒す。ゲームの内容は大概こんなもんでそのSteamページに貼られている動画をみれば誰でも理解の行くところである。つまりゲームの構成は極めて単純なのだ。シンプルイズベスト。

このゲームからわかる応用的な知見もまた単純だといえる。それが複雑なシステム系を実装しなくても工夫次第で人の目に見映えるゲームデザインは可能だということだ。現代のゲームにおいてグラフィックスデザインの重要性はますます増している。というのもこれだけゲームが毎日リリースされる中で人の目に留まるゲームデザインを実現しなければシステムやゲーム性がいくら優れていてもセールスに繋がらないからだ。もっと言うと一目見てそれで目移りしてしまうようなグラフィックス自体に面白味のないゲームは現代のゲームとしてセンスがないのである。

もちろんシステムが悪いと当然表面は良く見えても次第に悪評が経つのでセールスは期待できないだろう。だが購入するきっかけづくりとしてのグラフィカルなデザインセンスは先に述べたように重要だ。実は私がこのことに気が付いたのもあるシューティングゲーム制作者の談があったからだ。他人の指摘によってこのことに初めて気が付いたのだ。そのかたは「SHMUP Creator」を使って画期的なシューティングゲームを作ってitch.ioで公開しているかたである。一見同氏はシステムに凝っていてグラフィックスにあまり力点を置いていないようなかたに見えたのでこのような意見を拝聴するとは思ってもみなかった。

言うまでもないがゲームを構成するシステム系は重要だ。バランスも重要だろうしエンタメ性もまた重要だ。だが数千・数万というゲームがオンラインプラットフォームで年リリースされる現状を見るにあたってその中に”見映えない”という意において埋没してしまうゲームがあるということはそれだけでその存在価値はマクロ的マイナスなのである。つまり目につくグラフィックスがないということは少なくとも実存セールス的にマイナスでありそれが正当な評価を受けていない埋もれたゲームになってしまうことを示唆しているのだ。

私もクソゲー制作の経験は実はある。グラフィックスはクソ・システムもクソ・エンタメ性も皆無。まさに正真正銘のクソゲーだったがこういったゲームは価値観転移の性質を持っているから反転要素も具現的にあっていいだろう。クソゲーは本来セールスに期待されて販売されるわけではないからだ。クソゲーは制作者自身のエンタメを実現する勝手な自己実現を標榜しているゲームジャンルなのだ。もちろんそこから良ゲーの芽が生まれることまで否定するつもりはないし味のあるゲームを否定するつもりもない。クソゲーは(サンソフトのような例外を除いて)基本的に制作サイドの自己満足のゲームなのである。

現代のゲームのセールス的特徴を見る限り正当なゲーム評価を受けるゲームはグラフィックスデザインがまず最初に重要な要素なんである。視覚的な訴求力があるということはそれだけで貴重・重要なのだ。それがクソゲーであるかどうかはまず標榜する視覚的訴求力に優れているからこそ手に取って判断できることである。現代のゲーム産業を見返るにあたってまずまず手に取ってもらえない・ゲーム紹介プラットフォームを見てすぐに忌避感を覚えられてしまうということはそのゲームセールスの序幕を早々に閉じてしまうネガティブな要素なのである。

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