仕事は組織で行う。最もな意見だが、能力が著しく乖離する、あるいは平気で業務を遅延する人間は現場から外していいと思います。ひとりの人間の為に組織があるわけではない。何度注意しても改善が見られない人は無理です。
— 透 (@mUPSWh5pBiAEwNX) December 23, 2025
I agree with the idea that companies should be flatter and prioritize aptitude over rigid assignments. Those who are sincere but mismatched should be flexibly reassigned to roles where they can succeed. People who make no effort should be screened out, while those who try deserve real opportunities—this ultimately benefits both employees and the company.
私もこのXポストを見てふと思ったことがある。それはこの方の主張の通り「会社はフラットな場であるべきだ」という論も間違いなく(会社によっては)重要だということだ。私がPTで参加している会社もフラットな会社を自認しているのに「そこまでできていない面がある」のは決して否定できない。極論を言えば「営業に合わなかったら営業から外す」という選択肢もありだと思うんだ。同じようにA部で合わなかったらうちの部に合わせることもありだと思うんだよな。部署によって適正もあってしかも最初っからやる気のないやつは摘むいじゃえばいいわけでさ…。
例えばハッキリ言って私の所属している部(Cとする)は楽なんだけど某A部はハッキリ言って厳しい(B部のほうはまだちょっと楽)。だから厳しいA部B部にPTで入った新人が合わないと言い出すことが多い。合わないからやはりすぐに退職したいと言い出すかたもまた多い。そして楽なうちの部Cに入ってた同じ待遇のPTが研修だけ受けてあとは来ないなんてこともままある(この経験はどの会社でも多かれ少なかれあると思う)。「こんな馬鹿な事ってあるかな?」っていうのが私の意見だ。うちの部は考えてやればだれもが輝けるチャンスのある部署。A部はどうやったって難しいところがあって真面目なほど潰れがちな部署…ちなみにB部は業務の流れについていけない人は特にそうなりがち。
きちんと来ている。でも合わない。かたやきちんと来ないで(言い方は悪いが言わせてもらうけど…)給料泥棒だけしてそれ以降来ないのもいる。これじゃこの会社でのその方々のキャリアを全部ぶっ潰しているのと同じだというのが私のスタンスだ。うちの部CにPTで入ったのもA部B部にPTで入ったのもまったくやる気と適正が違っていて厳しいA部それよかちょい楽なB部に入って真面目にやってもダメな方もいる。はなっからやる気がなくてうちの部Cに来ているのもいるんだ。だったらうちの部Cにその当初AB部配属のPT新人を回せば済むことなのにって思う。そうすれば真面目なほうにはしっかりメリットが与えられて当の真面目にやっている人を救うことが出来ると思うんだよな。これはフラットな職場を自認するからこそできる(というか本来やるべき会社としてのスタンスである)わけだ。
A部は厳しい人が多くてやはり新人は特にやめがち。B部も業務の流れについていけない人は新人が特にやめがち。だったらCの選択肢(うちの部)があっていいじゃないか。ましてやフラットな社風を自認するならば真面目に来ている人にチャンスを与えるべきだ。はじめっから来ない・研修だけで来ないなんてのは見極めて要らないと通告すりゃいいじゃないか。なんで配置転換を積極的に考えないのか?はなっから来ないやつにチャンスはないのは当たり前で来る人にチャンスを与えればいいじゃないかと思うのだ。ましてやCの選択肢ではなっから来ないやつは周りに迷惑を与えている。AやBに来るやつはできないなりにやろうとしている。だからこそCの選択肢を後者に積極的に与えればいいのだ。これが生産性を上げひいては社益になるのは当たり前のことではないのか。
この論はXで最近良く見る論である。旧来の根性論ではなくして適正を見て真面目な人が合うところがあるのであればそっちを優先して柔軟に配置転換したらいいと思う。やらない人ははっきりいって社会は必要としないだろう。会社としても当然(どの会社組織であっても)要らない。でもやろうとしてもどーしてもできない人もやっぱ数多くいるんだ(てか毎年いる)。後者を会社は公器として積極的に助けるべきだしそもそもやらない人は採用しないべきであるのは当然ではないだろうか?と私は最近思っている。このXポストの提示している事例はその意において間違いなく100点の答案になっていると私は思った。だからこれをゲーム理論で考えてみる(次ページ)。
