「負けヒロインが多すぎる!」(通称:マケイン)はなぜ傑作なのか?…考え付かなかったのでChatGPTの回答に沿って六つの理由を挙げてみた

ライトノベル「負けヒロインが多すぎる!」(通称:マケイン)はマジで傑作である。カルロがそう評したように絶妙なバランスの元に成り立っているといえる。カルロはマケインを称して二点の点で凄いと言う。まず「原稿の完成度が高い」と。ラノベの場合原稿は完成度が低いということがままあるという(改訂していくうちに完成度が高まる)。だがその通常のラノベ原稿の完成度の常識を覆すほどの文章力が雨森には元来あったという。次点「物語の完成度が高い」。これは各キャラクターが絶妙なバランスで物語を構成していることに驚嘆した旨を指すらしい。よーするにカルロはマケインのことをしょっぱなから素晴らしい精度を持つと評したいようなのだ。私も8巻を読んでその完成度の高さに驚いたがなぜマケインはここまで賞賛されるのだろうか?理由はいくつかあるだろう。

…とか言っている割に「なぜそうなのか?」についてはきっかけやヒントが思いつかない。小一時間考え込んでも思いつかんのでChatGPTに聞いてみた。それに伴って私なりに自分の筆致で解説することでマケインの魅力を紐解いてみたい。まず第一にChatGPTは「負けヒロインという“報われなさ”の美学」を挙げた。つまり意外性である。ラノベはアンチリアルの文化なので正当性がないと言われる。だがそこを逆手にとって報われないヒロインたちに焦点をあえて当てている。新しいメメントを盛り込んでいるのだ。人生において”報われなさ”を感じる方がどんな秀才だとしても多いはずであってそこにリアルさをむしろ感じる,,,という評があるようだ。マケインは取り扱っているテーマがリアルに刺さるのである。

また「あえてハーレム系にしている」のも事実面白いとChatGPTは言う。ヒロインが多すぎるという事実が物語を群像劇にしている。そこには個性ある人々が構成する大局観すら感じさせる。主役とヒロインという関係だけでなくして主役と多くのヒロインというハーレム系にしていることで”報われなさ”は汎用化しているわけだ。選ばれなかった多くの人々=マケインの汎用性は個人個人のテーマと相まってソイツらが連綿たる流れを作っている。つまり「マケイン=ハーレムの法則」ともいうべき空気感で作られた独自色のある物語であるという点も本作をレビューするうえで見逃せないとChatGPTは語る。

第三に「予想を裏切る恋愛構造」とChatGPTは言う。多くのラブコメディものやラノベものは「勝ちヒロイン」に焦点が当たるがこのラノベは「負けヒロイン」だけである。そしてソイツらが時に誰かを好きになって誰かに告白したりする。誰かが正直に誰かを好きになれなくなってマケインが誕生する。小鞠のテーマはまさにそうである。焼塩のテーマもまさにそうである。ぶっちゃけ大体そうである(笑)。誰が勝ちになっても負けになっても面白い重厚感のあるドラマがこのラノベにはある。意外性を取ったかと思いきや王道でもある。カルロが語るように「明確な不遇さがあるようでないバランス感覚」が各キャラに宿っているのである。だから面白い。