主題の遷移
そういう意味でしばしば戦争になりがちで小粒な小競り合いは多く存在し頻発・散発しており先に書いたようにバランスオブパワーという話の内枠に収まりがちな情勢が描かれる。大きな紛争を描くのではなくそれを予防し誘発しかねない力に対する対抗のためロイドもヨルも動く…というのがストーリーの本筋である。ほぼそれだけが実際の彼らの世の中に対する理解示せる限度・実行力の限界でもある。こういう意味で彼らロイドとヨルは物語の定型枠に収まってしまっていて本来のあるべき大切な家族というものとは基本的には無縁なはずなのだ。だから彼らの家族像はあくまで”仮初の家族”なのである。この状況はアーニャという里子が加わって仮初ながら決定的に家族が出来上がる。ここに至ってロイドとヨルの平和論は実際の抽象系から実存系に遷移していくわけだ。アーニャというマスターピースを通じて。
現に物語しょっぱなからアーニャは登場している。つまりロイドは子供(里子)を任務上引き受けそうした家族像のありかたの探索という面でミッションに沿ってヨルという妻も持つ。これは実際の話の筋とは逆のベクトルに沿っているはずだ。本来ならばまずは妻を持ち子供を持つ。現実的にはあたりまえのステージの進行形だがその家族は当然元来あっていい家族ではなくむしろあってはならない家族である。だってスパイが父・妻が暗殺者なんだから。あってはならないどころかありえない家族だ。しかしそれが漫画の中で存在しているということはその家族像が非常に綱渡り的で不安定であり”仮初の家族”であるということの実存的証明になっているとも思う。繰り返すようになんたって売り文句が”スパイの夫” ”エスパーの里子” ”暗殺者の妻”なんだから(笑)。ありえなさがありえる家族像を作っていく。次第に。ここでもまたマクロ的な平和論と同様に抽象系から実存系へとの家族の形の遷移が見て取れる。ロイドとヨルの平和の進展はアーニャという貰い子を受け抽象系から実存系へと遷移するわけだ。あくまで結果論だが家族の形を希求するうえで平和の希求にもなっている。
漫画「SPY×FAMILY」にある”不都合な真実”
この漫画はそうしたように現実的平和つまり”縮約の平和”とつながる”仮初の家族”という同様に動くスキームの細やかに違っている部分・すなわちギャップを楽しむ痛快なファミリーコメディーだと思う。物語の流れとしてはこのあたりで大方収束していて本来のスパイ・本来の暗殺者としてはあまりにも現実に即してみると極めて不合格。ちょっと偏見だが少年ジャンプ+で連載されているのも納得のいく漫画ではある。他方その不自然さ・偏見の話が実際話の第一話からの序盤ですぐにアーニャという里子をもらい受け次にヨルという妻をもらい受けるという形でシームレスにつながっている。”不都合な真実”とは史実においては米合衆国副大統領のアル・ゴアがよくいったものだがこの「SPY×FAMILY」での現実的にありえないリアリティはそこを補するように想像力で描くという局面に至りゴアの論理と同じ運命をたどっているのではないか。彼らの不都合な職種(スパイ&暗殺者)とは事実・真実という家族の形で紡ぎ繋がれ作られるわけだ。
そうした経緯を経て不都合な真実つまり不都合なスパイと暗殺者(という職域)による家族という真実の人間の繋がれ方へ辿るというフローのある物語になっている。ここらのフローへの光のあて具合にこそ「SPY×FAMILY」という漫画の真骨頂がある気がしてならない。さらに突っ込んで言うとアニメ版では映像でこそ作ることのできる表現が多く含まれており漫画版との対比もかなり深くできそうなところではある。
『孤児院にいた経緯は分からんがこいつの実の親はおそらくもう…』
大粒の涙を流すアーニャの心に揺さぶられたときロイドは”父”になるのだ。
『ちちとはは…いちゃいちゃ…』
そのアーニャのことばにこそ、本来の純なる家族の見識を取り戻すための
偉大な子供の力があるのだと私自身は思えてならない。