ひろゆきvs石丸伸二からわかる建設的討論の在り方~国会システムへの痛烈な批判~


How can we construct a productive parliamentary debate?
I think there are three ways to solve this problem of unproductivity.

First, introducing a free discussion system.
Second, making full use of PQMs.
Third, actively amending more bills.


ひろゆきvs石丸伸二

これねー、めっちゃ面白い。少子化に対する施策のことを(発端にして)ひろゆきと石丸氏がガンガン議論をしているんだけど、すごく問題の核心を突いている。あのね、国会の答弁だってこれぐらい建設的なものにしてほしいんですよ。では、なぜ国会答弁はこれぐらいの建設的議論にならないのか?よく考えてみた。

知識の不足と目的の相違

ひろゆきと石丸氏による議論は、お互いが「データや論拠(フランスや北欧の事例・経済的試算・先進国の現実など)」を持ち寄り、前提条件を整理しながら「どの部分に同意でき、どこから意見が分かれるのか」を徐々に掘り下げていくため、見応えがあって建設的に感じるんだよね。他方、現在の野党を中心とする国会答弁は、「コンセンサス(合意形成)」のためではなく、「パフォーマンス」に徹している。前提知識の量が足りないのに加え、目的に相違があるのだ。

仮説の欠落と議論的本質の喪失

この動画だけだと、どこの出自だかわからないんだけど(リハック?とかいうのか?)、インターネット番組(ネット討論番組)は、課題に対する解決策の探求・互いの論理の検証・視聴者に多様な視点を提供するのが目的になってんだよね。そのため、仮説をぶつけ合ったり、間違いを認めたりすることが積極的に肯定される。他方、国会答弁は議論的に本質を喪失していて、自分が次の選挙で勝つためにこそ答弁する…多くの議員が国のためにやろうという意気を持ってない。

「官僚が書いた原稿の朗読」という悪しき慣行

日本の国会だと、質問者が事前に質問内容を通告して、それを基礎にして官僚が答弁書を作成する。これは、くだらない足の引っ張り合いに官僚がわざわざ強制労働させられるという悪しき慣行である。答弁者はほぼほぼそのままカンペを読むつもりで質問し、回答を得る。その結果、官僚の(本来有能である)マンパワーは「言質を取られないこと(失言防止)」「政策の矛盾を作らないこと」に割かれ、本質的な議論に発展していかないんだよね。

必然的議論破綻

無論、国会答弁は致し方ない面も多々ある。ネット対談番組では、ディスカッションに積極的にパワーを割ける。他方国会では、そうとはいかない必然的な議論破綻の要因があるのだ。相手の発言に対して即座に「それはなぜですか?」「こういうデータもあるんだよ」と双方向(ピンポン感染)で深掘りできるのがネット討論のいいとこ。国会では、一人あたりの持ち時間が厳密に決められてて、質問と回答の往復回数に制限があるため、単一のテーマを即興で深掘りするようなライブ議論がシステム上難しくなっている。

センセーショナリズムへの極度の振り

つまり、メディアを中心としたセンセーショナルなやり口がまかり通るようになってしまっている。これが国会中継のシステム的な問題なんだよね。ひとっつも前言撤回や間違い・ミスの類が認められない。無責任でブレてると批判され、マスメディアにこき下ろされる。みんな知ってるだろうけど、枝葉・重箱をつついて辞任にまで追い込む。これが立憲の姿勢で、だからこそ、野党は国民に支持されないのだ。実現したい政策のために議論するのではなく、選挙に勝ち政権を取るために議論(に見える罵倒)をするしかない。

    建設的な国会にするための改革案(論点)

    じゃあ、具体的にどうしたらいいのか?かなりむずいけど、三つあると思う。質問通告の廃止・討論システムの改善・法案修正への弾力的運用の環境的整備…この三つだ。欧米だと、別会のような形で党首同士がフリーディスカッションできる環境が整っているんだけど、日本にはそれがあまりない(制度としては一様あるけどあまり活用されてない)。まぁ、よーするにゲヲログが言いたいのは、「民主の根源に立ち返れ」というわけだね。


    質問通告制度の根本的見直し(事前原稿に頼りすぎないフリーディスカッションシステムの導入)

    党首討論の活性化と制度的定例化

    与野党が法案修正で協議・協調しやすい環境づくり