【TBSは「中居問題」に乗じて調子に乗るな】北尾さんも指摘するオールドメディアが抱える問題と一般人が享受できるメリットについて

「堀江の乱」は正しかった

北尾さんは堀江貴文による「堀江の乱」(ライブドアによるニッポン放送買収騒動のコト)を潰した経験が過去にある。「北尾のホワイトナイト」のことだ(Wikipedia)。それを踏まえたうえで「新体制における”堀江起用”もありうる」としている。つまり過去堀江潰しに加担したことを今となって強く後悔しているというのだ。曰くところによれば「堀江君に悪いことをしたなと思う」とのこと(テレ朝news)。つまるところ堀江がフジに対して城攻めをしたのは正しかったのだ。堀江にはそれだけの先見の念があったのだ。堀江はこの北尾の後悔発言を受けてこの分野での再起もありうるとしている(時事ドットコム)。

問われる「報道の責任」

ゲヲログが総じて言えることがあるとすればおそらくそれはメディアの責任である。かつて私はこう述べた。「欧米のメディアはまだまだましだが彼らでさえArma3のSSを間違って実際の戦場の様子として使ってしまうことがあるぐらいだ。これぐらいのミスリードならまだ許されるだろうが越えてはならない「報道の責任」がメディアにはあるはずだ。むしろトランプも言うようにありとあらゆるメディアは疑似的な権利を持っている。だからネット上でのマスコミュニケーションは評判が悪い」と(ゲヲログ2.0)。他方「改革は北尾とか堀江に任せればいい」のも事実だ。

一般人・視聴者・消費者が期待できる単純なこと

我々視聴者や消費者サイド(一般人サイド)からすればこの問題の結果に期待する以外ないだろう。世相の人々が出来ることはせいぜい世論を形成する過程においてちょっとだけの自分の持つ知見を提供することぐらいであるからだ。そしてこの「中居問題」の本質的なところは既存のオールドメディアの社会的影響力がどう変遷していくか?である。さらにコアコア的に言ってしまえば具体的に我々がどう利益享受ができるか?ということである。アナウンサーがどうたらとか中居がどうたらというのはそういう意においてはどうでもいい。ぶっちゃけこの二点だけしか”我々の手元には残らない”のだから。

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