第二章 国際政治学から見たSFアニメの「戦争」・第三章 SFアニメで描かれてきた「戦争」
第二章ではアニメの持つ政治的戦争のあり方について簡潔に述べられている。決してアニメを通じた戦争理解がダメな手法ではないことが言及されている他アニメの持つ戦争理解がダメな点もしっかり併記されている。例えば一年戦争を描いたファーストシリーズガンダムが地球連邦側の政治的描画に乏しい一方でジオン公国のそれはある程度描画されている点を指摘している。筆者によればこれは優れている点だが優れすぎているわけではない描画であるという。地に足がついている雰囲気でこの極めて重要な事項を指摘しているのだ。この点で本書が優れている点が凝縮されたような章である。私は肝要な点・柱は2つあると思う。
1つ目の柱はなによりもまず軍事的な知識である。つまり戦争をミクロな視点で解析することが出来ている点が凄い。個々の兵器について詳細な分析が出来ている点はもちろんのことであるがこれ自体に関しては第二章で直に触れられているわけではない。だがその兵器理論的なエビデンスがあるという点でそのエビデンス性を重視する姿勢という名目では多少ながら論に交える形で触れられている。そしてミクロ的な視点とともに筆者が重視するのが間違いなくマクロ的な視点である。つまり戦術や国家的な枠組みにおける意思決定のことだと筆者はその点を指摘しているのだ。これが2つ目の柱である。
安全保障を専門とする以上このミクロ的な視点とマクロ的な視点をともにあわせて考えなければならないと筆者は指摘する。そしてそのミクロ的な視点とマクロ的な視点との相互影響性を重々加味しなければ戦略的な判断や確固たるエビデンスに基づいた分析が不可能である旨がこの章に書かれているのである。この学術的な俯瞰視点の持つパワー・要素要素の集合こそが国際政治の本質であり特に国家安全保障の枠組みの分析における必須な要素であるいうわけだ。この点に重々配慮しているからこそ高橋は防衛研究所の室長という職責に適任な人物なのである。一言で言えば個性とバランスの両面に優れている修士号を持った専門家なのだ。
この章は地味ながらこうした点で高橋杉雄という学術的なエリートの持つ能力を凝縮している小章だと思う。そしてそれがエリート的な意だけにおいて素晴らしいのではなくあくまでエビデンスレベルの解析力として冷静に小さめのスケイルでも描かれている点が私は優れていると思うのだ。SFアニメはその点でツールのうちの一つに過ぎない。だがそれは考え方を想起させるものとして重要ではないわけではないのである。むしろ非常識な視点で様々な戦争要素を考えることができることは重要であり決して軽視するべき過小な考察でもない。思想は現実に寄りすぎても駄目であるが空想に寄りすぎていても駄目なのである。その両点をマージするようなブリッジの考え方が重要であると言うわけだ。
事実・真実・裏付けとともにそこから得られる考えの問題がすべての要素にわたって重要であり筆者が重視するバランス力の問題だという提起が確固として出来ている。可能な限りバランス良くだが個々のシステムコンポーネントに配慮もする…この徹頭徹尾な姿勢がこの章では見て取れる。そしてその第二章の流れの中で示唆されている第三章は戦争のマクロ的な視点に依っている。マクロ的に国家的戦争枠組み・個人的戦争枠組み・社会的戦争枠組みを各実アニメ事例を挙げながら簡単に懇切丁寧に人間的な思考能力を活かすことが出来ている。浮世離れしていない考え方が抽象的な意味においても具体的に提示されているのだ。