名著精読記録「SFアニメと戦争」高橋杉雄

第一章 SFアニメが描いてきた戦争の「リアリティ」

まず筆者は「宇宙戦艦ヤマト」の事例を引き合いに出してそのリアリティを部隊戦を基盤として解説している。同作では戦術部隊の編成と地政学的な戦術が良く描き込まれている点を筆者は指摘する。次に「機動戦士ガンダム」の事例を引き合いに出してよりマクロな政治的駆け引きの要素がさらにプラスされている点を指摘している。これらは”単にカッコよく戦う”というこれまでのSFアニメの色彩を一変させリアルさを持ち出し塗り替えた点で画期的だったということを指摘する。それが補給の概念であったり政治体制における闘争だったりする。「機動戦士ガンダム」においては特にミクロ的な戦術のみならずマクロ的な政治判断が戦闘の物語に絡むことでより複雑なデザイン表現が可能になっているという。こうした幾重にもまたがるリアリティを持ち出すことでアニメーションが子供向けであったことを刷新したことを筆者はまず指摘する。

だが筆者の指摘はそこに留まらず登場人物としての葛藤にまで筆致が及ぶ。軍事背景的な側面そのリアリティを追及した先に「伝説巨神イデオン」の事例などがあると筆者は指摘する。つまりそこには非情な正義感があり「宇宙戦艦ヤマト」で描かれたような正義の相対化があるという。戦うということは敵の死を望むということに他ならない。そしてそうした戦争における表面的な正義は希望とともにある絶望にその真骨頂があるということも感じさせる。これを筆者は”絶望の中の希望”もしくは”希望の中の絶望”と評する。つまりこの”希望(絶望)と絶望(希望)の綱引き”に物語のテーマが至るにおいては単なる戦術級アニメとしての役割以上のものを視聴者に感じさせる要素があるというのだ。

この第一章においてはその描写は戦術的な描画の転換☞正義の相対化☞戦争における希望と絶望と話題がシームレスに繋がっている。単に戦術的に物事を分析しさえすればよいという旧来からの枠を飛び越えている記述の内容となっているのだ。戦争における人間の感情的な点を客観的に解析することが総じてこの章における筆者の目的だったのではないかと私は思う。例えばそうした複雑な要因を希薄化させた「超時空要塞マクロス」の事例をあえて論の終盤に出している。このことによってより多層的な戦争の解釈がアニメを通じて際立つ旨を述べているように私は感じる。自由かつ論理的に論は組み合わさっていてSFアニメのリアリティを指摘するだけの目的から論旨はもう飛び出ている。それは杉山も指摘する勧善懲悪からの脱却という形で日本初のアニメーションとして映像市場に投入されているわけだ。そしてそこにはもう子供じみただけのそれONLYの出来事が実存するだけで済まないものが表現されているという。第一章で筆者はこっぴどくこのことで幾重にもまたがる重層的な論を構成し指摘している。

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