理由②キャラクターの性格的継承に失敗してしまっている
キャラクターの背後設定に機敏を失ってしまっているのも失敗とされる一因かもしれない。キャラクターの絵は確かに綺麗になったし上手くなっている。かしこまったしっかりとした主線で描かれていて漫画の描きの上達をよくよく感じる次第である。だがキャラの設定を継承しただけではギャグは成立しないということも「日常」は証明してしまっている。確かに旧連載と新連載で登場する面面は同じだ。だがキャラクターが誰が誰だかわからないほどギャグシーンがツッコミ過ぎているのだ。だからこそキャラクターの個性というかキャラ立ちが無くなってしまっているという懸念は否めない。不条理ギャグ漫画だから何があってもいいのではない。むしろ基盤となる設定やキャラ立ちはしっかりと明確なコントラストでギャグと正立しないとこの類の漫画は成り立たないのである。なんとも皮肉な論だが守るべきところと打破するべきところにコントラストが入っていない。
それに対する反論
全体的にキャラ立ちがなく平均になってしまっているという批判はわからないでもない。だが「あらゐの世界観」に基づくキャラは軒並みは継承されていてキャラクターは特にゆっこを始めとしてファンサービスに溢れている。ファンだからこそ納得のいくサービス精神が新連載では満載であり旧連載でできなかったことをキャラクターは最低限の設定そのままに有言実行している。そこには懐かしさとともに新鮮さを感じる創意工夫があるわけであってそいつ自身を否定しては何の意味もない。漫画とはキャラ立ちの成否に左右されるコンテンツである。キャラクターの立ち位置はむしろ新連載に至って明確に描かれている印象を持つ…とする論。