理由①ギャグの切れがなくなってしまっている
ギャグに切れがなくなってしまっているという理由はあると思う。これまではシームレスにギャグに入っていたシーンがなんだか「なんとか作った感」が溢れていてすごく残念な出来になっている。ギャグ漫画ってのは当然アイデアに溢れていてこそできるものだがなんでもアリっていうわけじゃない。それは不条理ギャグというジャンルでも全く同じである。切れ目なく”受け”の感受性に継続してうったえかけるギャグシーンを繋げないと「なんとか作った感」が出てきてしまうものなのだ。昔の「日常」(旧連載)は新刊の「日常」(新連載)のそれと違いギャグに”必然性”があった。それが新刊では失われてしまったという意見はわからないでもない。
それに対する反論
ギャグの切れが無くなったというのは自然なことである。これだけの長期連載でスパン長くしてギャグの継続に期待するほうがおかしい。むしろ新連載であればこそできるギャグの新境地に達していてキャラクターの掛け合いには新鮮さを感じるという反論がある。そしてそれに独特の魅力を感じる読者層がいるのも事実である。むしろそうした面が全くないのであれば新連載「日常」はアマゾンレビューで☆四つを譲るはずがない。時代が変わればギャグの方向性もまた変わる。むしろその継承には成功しているほうである。これはこれで「日常」の新たなギャグの方向性なのではないか?旧連載のようなギャグの必然性とかシームレスな繋がりをある種否定しているがゆえこそすべきこと・できうることをしている。