圧倒的に好評ローグライト「Hades」はなぜクソゲーなのか?

前ページからの続きだが「Hades」シリーズはハックアンドスラッシュをそのシステムに据えてしまっている。この点もロールプレイの問題点と同じくウィークポイントとして指摘させていただく。「Hades」は敵を倒すプロセスの上で「如何に敵に攻撃を効率よく叩き込むか」というシステムにゲーム全体を全振りしすぎている。「Hades」には”捻り”がないのである。”捻り”といってもあまり意が伝わらないのであれば”工夫”と言ってもいいかもしれない。これを説明するために「Curse of the Dead Gods」「Ravenswatch」の事例を持ち出そう。

この「Curse of the Dead Gods」「Ravenswatch」は双方ともにハックアンドスラッシュだのみではない特徴性を持っている。それが”呪いによるナーフとバフ” ”キャラクタービルドの本格性”である。”捻り”となる外因があるため単純に物事を割り切って解釈することはできない。そのため多様なゲームのあり方を追求できる。複数のエレメントの中に外因が存在することで飽きないシステムを創意工夫して実装できるわけだ。だからこそ飽きが来ないのである。呪いがかけられることでゲームの本流システムの中にあるメインストリームに交絡因子を組み入れることができるしビルドに多様性があるからこそ何回でもゲームを楽しめるのだ。

”捻り”はあればあるほど良いかというとそうではない。だが「Hades」「Hades Ⅱ」はその”捻り”がなさすぎる。あまりにリニアな直線的な攻略法しか提示できないゲームなのである。つまり歯ごたえがない。咀嚼していく中でゲームの噛み応えを感じる余裕がないのだ。当然ゲームの進行に伴って本来複雑構成されるはずのシステムの特徴が見えてこない。こっぴどく酷評すると「Hades」シリーズは飽きが早いどころか単調すぎる。どっちかというとローグライトというよりかはハックアンドスラッシュに徹しているからだ。同じことの繰り返しなのはゲームであるがゆえそうあるべきだがその繰り返しの中で根源的な楽しみを見いだせなければゲームはゲームとは言えないだろう。

この二項択一の問題はリニアーとノンリニアーと言い表しても良いかもしれない。リニアーな解を「Hades」シリーズは用意しているがノンリニアーな解を同ゲームは用意できていない。逆にリニアーな解もあるしノンリニアーな解もあるのが「Curse of the Dead Gods」「Ravenswatch」である。この点で後者のゲームらのほうが「Hades」シリーズよりも強い魅力のあるゲーム性を持っているのである。箱の中に何かを入れ込んで飛び出してくるびっくり箱の反応を見て対処するノンリニアーなシステムを楽しむということが「Hades」シリーズではできない。だからこそ「Hades」シリーズはダメなのである。

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